大人気春秋戦国時代漫画キングダム、その主人公と言えば飛信隊の大将、信です。後には、対楚戦争で蒙恬を副将とし大将軍として戦う事になる信ですがその結果は惨敗でした。
でも、「楚は秦に並ぶほどの強国であり、いくら信でも負けるのは仕方がない」として信の敗北を青春の蹉跌と片付けてしまう向きもあります。しかし、事実は小説より奇なり、実は楚は弱く、信の敗北は予想外の大チョンボだった可能性もあるのです。
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百万の楚に二十万の秦軍を向かわす秦王政
楚の動員兵力は、史記や戦国策に帶甲百萬と書かれるなど、秦と同等の兵力であるかのように見えます。また、秦王政は用心深く悪く言えば猜疑心が強い人物だったので、兵力百万の楚を攻めるのに、それなりの用心をすると考えるのが自然です。
ところが、秦王政は楚を攻めるのに、「二十万で充分」と豪語した信を採用し「六十万ないと難しい」と言った王翦を耄碌したと見做し、、楚攻略を信と蒙恬に任せて大敗させています。
これは、圧倒的にオカシイ記述ではないかと思います。
あれほどに用心深い政が、楚の動員兵力を度外視して、五分の一の兵力しかない信をどうして向かわせたのか?秦王政が内心で信を疎ましく思っていて、敗戦を利用して殺そうというのでない限り、楚は二十万の兵力さえあれば、十分に倒せると見積もっていたと考えない限りは辻褄があいません。
本当は弱かった楚
実際の楚は、帶甲百萬とは呼べないレベルまで弱まっていた、それを証明する記述は史記四十巻楚世家にあります。それによると紀元前278年、秦の白起に王都郢を抜かれた楚の頃襄王は、東地の兵を収めて十餘萬を得て秦を攻撃し失地回復を図ったとされています。
二十三年 襄王乃収東地兵 得十餘萬 復西取秦所拔我江旁十五邑以為郡 距秦
郢は回復できないものの、十五の邑を取り返したと書かれているので、それなりに成果を挙げたのでしょうが、頃襄王が得たのは、十万余りの兵力である事に注目すべきでしょう。帶甲百萬と謳われた楚ですが、事実上、その動員兵力は1/10に低下したのではないでしょうか?
郢が秦に奪われた紀元前278年時から、秦による楚の討伐があった紀元前225年までには、半世紀の隔たりがありますが当時の人口の増加率を考えると秦王政が楚を滅ぼすのには、二十万で充分と踏んだのは、決して楚を軽んじた行動ではないように感じます。
秦王政の認識では、精々十余万の兵力しかない楚に対し王翦が六十万を要求したのは、途方もなく臆病な進言であり信の言った二十万が、妥当な要求に映った可能性が高いでしょう。
長江流域の人口は4世紀まで黄河より低い
キングダムの時代である春秋戦国時代の末期についての人口が分かる史料は存在せず1500万人から3000万人という説があります。しかし、前漢時代の人口推移をみると、まだ淮河以北の人口が多く、淮河以南の人口はかなり少ないようです(漢書地理誌)
呂氏春秋開春論貴卒編には、呉起が「荊(楚)王に、荊(楚)に有り余るのは土地で足りないのは人民」と言っていますし、史記貨殖列伝では、「楚越の地は地広く人希」と書かれています。
また、春秋戦国時代の楚の遺跡は数が少なく、人口がまばらだったと考えられます。実際、長江流域の文化、戸口数、物力などが黄河流域を越えていくのは、四世紀以降の晋の時代です。
人口が少なくても域内交易が盛んなら農耕は低調でも人民は豊かです。しかし兵力の動員数を考えると楚の人口で百万人という動員は難しいという事になります。
信の敗戦は全くの油断
さて、史記によると、紀元前225年秦軍二十万は安陵という土地まで向かい、そこから兵力を二分、信は十万を率いて平與を攻め蒙恬は寝を攻撃しながら進軍し最後は城父というポイントで落ち合う予定でした。
ところが、項燕の軍勢が寿春から三日三晩、不眠不休で信の軍勢を追跡し、完全に油断している所を背後から襲って撃破しました。どうやら蒙恬軍は無傷のようですが、総大将の信の軍勢が大敗を喫した為、挽回のしようがなかったようです。
信は快進撃を続けて、偵察を疎かにした所を項燕に衝かれた格好だと思いますが、楚の国力を甘くみていたのは敗因の一つだと考えられます。項燕としては、楚の国力を甘く見た秦王政と信の油断に乗じた勝利であるとも言えるでしょう。それもこれも、楚の兵力動員数が史書が伝えるほどには多くなかった事を裏付けているとは言えないでしょうか?
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
これまでの解釈では、秦王政が若く勢いがあり、戦果を挙げている信を盲信し二十万という過少の兵力での楚討伐を計画して信の油断から失敗し、消極的で慎重な六十万という兵力を要求した王翦に頭を下げて、現役復帰をしてもらったという解釈が多くありました。
しかし、楚の動員兵力が実際には、二十万に満たないとすれば秦王政も信も、二十万の兵力を楚討伐に妥当と考えたのはかなり自然であり、逆に王翦の六十万は過剰に多い印象にならないでしょうか?
もしかして、秦王政は王翦に「こいつ、兵力を六十万得て、途中で反旗を翻すんちゃうか?」と不安になり、あえて信を指名し王翦は王翦で「やばい、秦王、俺が六十万の兵力を私物化するかもと疑いおった」みたいに考えて、速やかに隠居を決意したのかも知れません。こんな風にkawausoは考えますが、読者の皆さんはどうですか?
参考:論説 戦国時代における楚の都市と経済/柿沼陽平/11p~13p・17p/東洋文化経済17号/
春秋戦国の英傑たち 五覇七雄の光芒 (双葉社スーパームック) ムック – 2019/3/23
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