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【于吉と左慈】孫策と曹操を困らせた仙人様をご紹介

2019年9月21日


 

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于吉

 

于吉(うきつ)左慈(さじ)は後漢(25年~220年)に実在した方士です。方士と言うのは一般人に出来ないことが簡単に出来てしまう特殊な力を持った人の総称です。

 

于吉

 

「仙人」という言い方もありますが、実際は医者・手品師・宗教家などを指します。于吉と左慈は方士に該当しており、正史『三国志』や後漢書で実在の確認がとれています。ただし、史料に乏しいので今回は小説『三国志演義』をもとに彼らの不思議な力を紹介します。

 

自称・皇帝
当記事は、
「于吉 左慈」
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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孫策、于吉との約束を破る

官渡の戦い 騎馬兵

 

建安5年(200年)に曹操(そうそう)袁紹(えんしょう)は官渡で天下分け目の戦いを行っていました。そのため、曹操の本拠地である許昌はがら空きです。呉(222年~280年)の孫策(そんさく)はそのスキを突いて許昌を襲撃しようと計画を立てます。ところが、呉郡太守の許貢が曹操と内通していたことが発覚!

 

孫策に攻撃される黄祖

 

怒った孫策は許貢を攻撃して討ちとりますが、この時に難を逃れた部下がいました。彼らは殺された主人の仇討ちをするために孫策に復讐を誓います。そしてある日のこと、孫策が1人になったところを襲撃!孫策は重傷を負います。いよいよ「江東の小覇」も最期か?

 

スーパーDr華佗

 

ところが、幸いなことに孫策は助かりました。名医の華佗(かだ)がいてくれたので、一命をとりとめたのです。さて、傷もだいぶ回復したある日のこと、孫策は民が1人の老人に頭を下げているのを目撃します。

 

部下に尋ねるとその人物は于吉と言って、不思議な力を持った仙人でした。孫策が調べると民や部下たちだけではなく、母の呉夫人や妻の大喬まで于吉を尊敬していたのです。

 

于吉、孫策

 

孫策は面白くありません。「お前たちはペテン師にだまされている!」と言いますが、みんな聞く耳を持ってくれませんでした。

 

怒った孫策は于吉を捕縛して死罪を言い渡します。だが、民から人気のある于吉をいきなり死罪にするのはまずいと言われて、孫策も思いとどまります。そこで雨ごいをして雨を降らせることを命令しました。雨が降れば釈放、降らなければ死罪でした。

 

了承した于吉は雨ごいを行って、本当に降らせました!見ていた民は「これで于吉が助かる」とほっとします。しかし、孫策は負けていません。「放っていても、今日雨が降る予定だった」と屁理屈を述べて于吉を殺してしまいます。

 

于吉、孫策

 

孫策はそれから間もなくして、死んだ于吉が目の前に現れるようになり、その亡霊に悩まされながらこの世を去りました。約束を守らなかった天罰です。。

 

曹操ノイローゼ事件 魔法使いの左慈

曹操

 

建安20年(215年)に第2次合肥の戦いで呉と戦った曹操ですが、決着はつきませんでした。疲れた曹操は、とりあえず呉と休戦協定を結びます。おかげで曹操のもとに呉から様々な貢物が届きます。温州ミカンもその1つです。ある日、温州ミカン運搬役人の前に1人の老人が現れます。

 

鱸魚を釣る左慈

 

彼は左慈と名乗り、曹操と同郷であると語りました。

 

左慈は「手伝ってやる」と言って、ミカンの運搬の手伝いを始めます。不思議なことに左慈が触れたミカンの箱は軽くなっています。おかげで運搬役人は都まで楽に運べました。さて、曹操は温州ミカンが届いたと聞いて大喜び。早速、食べようとしますがミカンを確認するとびっくり!

 

ミカンの中には果実が入っていません。何個も調べましたが、どれも果実無しで皮だけです。怒った曹操が運搬役人に尋ねたところ、左慈の存在が明らかになります。ところが曹操は、そんな名前の人物が故郷にいた記憶は全くありません。考えているところに左慈が現れました。

 

奇妙なことに左慈は曹操に「俗世を捨てて自分の弟子になれ。弟子になれば不老不死の術を授ける」と言いました。曹操も悪くないと思いましたが天下統一事業の途中なので断りを入れます。しかし、左慈は「天下統一は劉備に任せて大丈夫です」とコメント。

 

それを聞いた曹操はカンカンになり左慈を牢獄に入れて拷問にかけます。だが、いくら痛めつけても左慈は表情1つ変えません。その後も牢屋からの脱獄、死んだ羊を生き返らせる、影分身の術を使ったりして最終的には曹操をノイローゼに追い込みます。曹操を懲らしめると左慈は2度と姿を現しませんでした。

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が于吉と左慈に関しての話でした。于吉の話は全く笑えない話ですが、左慈の話は殺伐とした『三国志演義』に少しだけ盛られている「清涼剤」です。こんなに弱った曹操はあまり見られないので実に面白い!

 

筆者は左慈は意地悪をしに曹操のもとにやって来たとは考えていません。曹操は働きすぎなので、たまには休めという警告をするために来たと推測しています。実際、休養後はもとの元気な曹操に戻っていますから良かったです!

 

※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。

読者の皆さんは于吉と左慈のどちらが最強と思いますか?「于吉である」「左慈に決まっているじゃん」「分かりません」どんなコメントでも結構です。お待ちしています。

 

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三国志平話

 

 

 

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