曹丕は七歩詩をどうして曹植へ歌わせたの?

2019年10月10日


 

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皇帝に就任した曹丕

 

魏の初代皇帝曹丕(そうひ)。彼は曹操(そうそう)の跡を継いで皇帝の位に就任することになりますが、曹植(そうしょく)と激しい後継者争いに勝利し、曹操の跡を継ぐことになります。

 

曹丕と曹植

 

曹丕は曹操の跡を継ぐと自分の後継者争いのライバルであった曹植へ七歩の間に詩を作れとかなり難しい要求を突きつけています。どうして曹丕はこのような要求を曹植へしたのでしょうか。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操の後継者へ

曹植と曹丕に期待する曹操

 

曹丕は曹操の三男として誕生しますが、曹操からあまり可愛がられなかったようです。ですが、曹操の息子であったことから、副丞相の位を授けられることになります。

 

曹植

 

曹操は三男の曹丕ではなく誰を可愛がっていたのでしょうか。それは彼の弟で文才の才能に秀でた曹植を可愛がっていました。曹操は副丞相の位を曹丕へ与えても、曹植が可愛かったため、自分の跡継ぎを決めませんでした。

 

曹丕に喧嘩を売る曹植と楊脩

 

そのため曹丕の側近と曹植の側近は自分たちの君主を曹操の後継者とするべく、熾烈な後継者争いが勃発。曹操の後継者争いは曹植が酒で失敗を重ねた事が契機となり、曹丕が曹操の後継者に任命された事で、終結を迎えることになります。

 

死期を悟る曹操

 

こうして曹丕は曹操が亡くなると彼の跡を継いで、魏王の位へ就任することになります。

 



七歩の内に詩を作れ!!

曹植は軟弱ではなかった

 

曹丕は側近であった司馬懿(しばい)陳羣(ちんぐん
)
朱鑠(しゅしゃく)呉質(ごしつ)の四友や自分を支持してくれた人々へ褒美を与えて、報いることにします。ですが、ライバルであった曹植に対しては厳しい態度で臨みます。

 

枝豆と煮豆 曹丕と曹植

 

曹植は兄・曹丕の無理難題を受けても驚くことなく、七歩の内に見事な詩を「豆の詩」作り上げ、披露します。曹丕は曹植が作り上げた「豆の歌」を聞いて深く恥じ入って、彼を殺害するのを止めることにします。

 

曹植

 

こうして曹植は自らの文才によって自分の命を救うことに成功するのでした。ついでにこの「豆の歌」は「世説新語」と呼ばれる書物に記載されています。

 

国替え国替えの連続

酒におぼれてしまった曹植

 

曹植は曹丕から領地と侯の位を与えられますが、一つの領地に留まれず、転々と移封されることになります。曹植の処遇は彼が亡くなるまで継続して行われることになります。

 

何度も上奏するが取り上げられない

曹植は軟弱ではなかった

 

曹植は曹丕が君主として君臨していた時代、自分の能力を国政に参与する事で試したいと考え、曹丕へ何度も上奏して自分を用いてほしいと懇願します。ですが、曹丕は曹植の上奏を取り上げず、曹植を用いることをしませんでした。

 

曹叡

 

曹植は一度の上奏で諦めず何度も曹丕へ上奏をしますが、結局取り上げられませんでした。曹植は曹丕の死後、魏の二代目皇帝・曹叡(そうえい)から召集を受けて参内する機会を得ます。

 

曹叡から可愛がられる孫資

 

曹植は曹叡と一対一で時勢や国政に関する議論をしたいと熱望。だが曹植の熱望は曹叡に届かず、一対一で国政を議論することができず、領地へ帰国することになります。曹植は自分の熱望が曹叡に届かなかった事でショックを受けてしまい、病にかかってしまいます。その後曹植は病をいやすことが敵わず、亡くなってしまうのでした。享年41歳。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は曹植の七歩の詩と彼のその後を紹介しました。曹植が作った七歩の詩ですが、彼の真作ではないとの説が多数を占めているそうです。そのため本当に曹植が曹丕から命令を受けて「七歩の内に詩を作れ」と命令を受けたのかどうか分かりません。

 

曹植を暗殺しようとした曹丕を止める卞皇后

 

レンの勝手な憶測としては曹丕が自分の母親である卞氏が生きている間に曹植へ「七歩の内に詩を作らなければ、死刑にするぞ」などと無理難題を吹っ掛けるような事をしないのではないかと思います。ですが、あくまで憶測で証左もない為、断定的な事が言えませんが、皆様は曹丕が弟にそこまで厳しい要求をすると思いますか。

 

■参考文献 三国志武将辞典 新紀元社など

 

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曹操孟徳

 

 

 

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