中国といえば、東洋医学・漢方薬の発祥の地です。その祖を築いた人物、大元の元を作ったのが神農と呼ばれる人物だったといわれています。とはいえ、かなり古い時代の人であり、古代中国の伝承上の人物、ほぼ伝説上の人物とも言われています。
今回はこの神農についてご紹介します。
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神農は伝説上の存在!?
神農は、古代中国の伝承として知られている古代の伝説上の皇帝、三皇五帝の一人です。神農の築いた中国伝統医学は神話の時代までさかのぼります。神農は薬学の始祖とされており、医療と農耕の術を人々に教えたことが伝えられており、医薬と農業を司る神として崇められています。
数々の異名を持ち、薬王大帝、五穀仙帝、炎帝神農とも呼ばれています。神農は、体は人間、頭は牛という姿だったとも伝えられています。このように説明すると伝説上の人物で実在してなかったかのようですね・・・。というよりももはや伝説どおりならば、すでに頭部が人間ではないのでは?と思ってしまいますね。
薬学の神・神農の地道な努力!!!
実際のところ、神農という人物の名は、中国の薬物学書の中で確認されています。神農がまとめた書、『神農本草経』とは、1~2世紀の後漢代、ちょうど三国時代の付近で成立した中国最古の薬物学書です。
この書には、365種類の生薬が効能別に分類されて記されています。その効能を調べる際に、神農は自ら草を食べて効能を調べたそうです。彼はあらゆる草木を舐めて毒見を行い、毒か薬かを実際に試していくことで地道に調べていました。あまりに毒草を服用したため、一日に70の毒にあたったこともあると言われています。
このように、生薬の効能は実際に食してその効能を確認するという“実践”の積み重ねによりみつけ出されてきたものでした。このあたりは西洋医学との違いで、理屈や論理を積み重ねて実践する西洋医学に対して、東洋医学はまず実践してその結果を蓄積します。神農は、最後は薬草の毒にあたって死んだと言われています。
「神農本草経」その成果は?
『神農本草経』に書かれた365種類の生薬の内訳は植物薬が252種、動物薬は67種、鉱物薬は46種に及びます。それだけの数の草を調べ上げたようです。生薬はその効果の大小でも分類がなされています。
上品(じょうほん):毒性がなく長期服用しても良い生薬。強い作用は無いが副作用も無く、体質強化、養生を目指すもので、摂取することで体質の改善ができます。
中品(ちゅうほん):副作用があり服用に注意が必要な生薬。比較的穏やかな作用があり、新陳代謝を活性化したり、精を養うもので大量に摂取しない限り、副作用の心配は無いです。
下品(げほん):毒性があり長期間服用してはいけない生薬。効き目が強いものの、しばしば副作用を伴う生薬です。現代の医薬品に良く似た性質を持っています。そのため、摂取量や摂取する期間に注意が必要となります。
三国志ライターF Mの独り言
かなり古い時代の人物である神農はどのような人物であったのか、詳細に調べるのは難しいでしょう。
ただ、彼がどのような人物かはさておき、彼が行ったこの偉業、『神農本草経』を纏め上げることは彼にしかできなかったように思えます。毒草と薬草を食べ続け、その効能を調べ上げていく、というのは一歩間違えば死ぬかもしれない行為です。それでも彼は、ずっとそれを続けて薬としての薬草の効能を調べました。
これらの事から読み取れるのは、彼は自己犠牲の精神を持ち、誰かの為に探究していくことができる人物だったように思えます。でなければ、『神農本草経』はこの世には無かったでしょう。
参考文献:
伊藤剛 著、須田剛 発行、最新版 体を考える東洋医学(2018) 図書印刷株式会社
兵頭 明 監修、富永 靖弘 発行、徹底図解 東洋医学の仕組み(2009)、新星出版社
平間 直樹、浅岡 要、辰巳 洋 監修、プロが教える東洋医学のすべてがわかる本(2011) ラン印刷社
汪 正仁 著、東洋医学の真髄(2011) 成山堂書店
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