劉備の傭兵時代に付き従った部下をご紹介します


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部下の兵士に褒美(お金)を分け与える曹真

 

傭兵というのは日本ではなじみ無き呼称です。簡単に言えば正規兵ではなく、日雇いで働く兵士と思ってくだされれば結構です。実は劉備(りゅうび)は益州を手に入れるまで、他の群雄に雇われながら戦ってきました。その苦労は並大抵ではなかったでしょう。

 

土いじりをする劉備

 

さて、今回は正史『三国志』をもとに劉備の傭兵時代に付き従った許耽(きょたん)孫乾(そんけん
)
習禎(しゅうてい)の3人を紹介します。

 

自称・皇帝
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元・陶謙配下の裏切者 許耽

陶謙

 

許耽は詳細なことは分かっていませんが、出身地が陶謙(とうけん)と同じ揚州丹陽郡であることから、彼は陶謙が地元から連れてきた「丹陽兵」の1人と見て間違いないです。丹陽兵ならば、陶謙や彼がタッグを組んでいた闕宣(けっせん)と一緒に泰山で略奪行為ぐらいはしてきたはず・・・・・・おそらく素行は良くなかったでしょう。

 

陶謙と劉備

 

興平元年(194年)に陶謙が亡くなると当時、陶謙の客将だった劉備に仕えました。しかし、建安元年(196年)に劉備と袁術(えんじゅつ)が徐州をめぐって対立して戦となります。

曹豹

 

劉備は張飛と元・陶謙配下の曹豹(そうひょう
)
に留守を任せて出兵しました。だが、張飛は曹豹とケンカになり彼を殺害します。

 

張飛にお酒はだめだよ

 

小説『三国志演義』では禁酒令を破った張飛を曹豹は止めようとして殺されますが、史実にそんな話はありません。おそらく土着の曹豹とよそ者の張飛の政治的対立と考えて間違いないでしょう。

 

赤兎馬にまたがる呂布

 

怒った許耽は、当時劉備に亡命していた呂布にこの件を知らせます。説得を受けた呂布(りょふ)は徐州を奪うことを決意。

 

呂布のラストウォー 処刑される呂布

 

許耽は丹陽兵と協力して呂布を招き入れます。こうして張飛は敗走して城から追い出されました。許耽のその後は分かりません。間もなく病死したのか、建安3年(198年)に呂布と一緒に戦死したのかもしれません。


一流学者お墨付きの部下 孫乾

 

孫乾も劉備が徐州刺史になった時にスカウトした部下です。正史『三国志』に注を付けた裴松之が持ってきた『鄭玄伝』によると、彼は後漢(25年~220年)末期の学者である鄭玄からの推薦で劉備に仕えたようです。

 

鄭玄は当時の一流学者でした。現在で例えるのならノーベル賞を受賞した山中教授レベルです。建安5年(200年)に劉備が袁紹に亡命する際に、孫乾は袁紹への使者となって説得に赴きます。袁紹は鄭玄を賓客として扱っていました。孫乾が使者に選ばれたのは鄭玄との関係からでしょう。

 

孫乾はその後も劉備に従って、劉備が益州を平定してから天寿を全うしたようです。位は麋竺に次ぎ、簡雍と同等の扱いでした。


諸葛亮の身内 習禎

 

習禎(しゅうてい)は劉備が荊州の劉表に亡命している時に仕えた部下です。残念ながら列伝は残っていません。彼に関しては「季漢輔臣賛」と『襄陽記』(別名:『襄陽耆旧記』)という書物にしか事績が残っていません。習禎は劉備に従って益州に入り、その後は地方の太守を歴任して生涯を終えたようです。ただし、いつ亡くなったのかは不明です。

 

習禎の妹は龐統の弟に嫁いでいました。諸葛亮の2番目の姉が龐統の親族の龐徳公の息子と結婚しています。血は遠いですが、習禎は諸葛亮と身内です。

 

習禎は議論が得意であり、荊州における彼の名声は龐統より劣りますが、馬良より上だったようです。馬良より上というのは大したものです。ところが、この記述は習禎の子孫の習鑿歯(しゅうさくし)という人が執筆した『襄陽記』に記されています。身内のことを悪く書く史料は存在しません。

 

また、習鑿歯は確認がとれる限り世界で初めて「蜀漢正統論」を唱えた人物です。そのため、彼の書物は気を付けて読む必要があるようです。


三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

今回は劉備の傭兵時代の部下である許耽・孫乾・習禎を紹介しました。彼らの中にも途中で劉備に見切りをつけたり、最後まで劉備を信じて従った者もいました。しかし許耽と丹陽兵は、なんで劉備よりも呂布が良かったのでしょうか?丹陽兵は揚州の出身、それに比べて呂布軍はモンゴル方面の出身・・・・・・

 

大声を出す張飛

 

どう考えても風習の合わない軍隊です。そんな野蛮な軍隊に保護を求めようなんて、考えますかね?そうしてみると、徐州の留守を任されていた張飛は若気の至りで暴走するタイプの人だったのか?

 

小説『三国志演義』の人物像は少し合っているのかな?

 

※参考文献

・渡邉義浩『「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち』(講談社選書メチエ 2012年)

 

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