【劉備の初軍師・陳羣】劉備が逃げられた陳羣と徐庶には共通点があった

2019年11月14日


 

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土いじりをする劉備

 

三国志演義の影響で、劉備(りゅうび)が最初に登用した軍師は徐庶(じょしょ)だと思われがちです。

 

陳羣

 

しかし、正史三国志において劉備が最初に登用した軍師は徐州牧時代の陳羣(ちんぐん)でした。

 

九品官人法を作った陳羣

 

あの世界史に登場する九品官人法の成立に関わった名士の陳羣ですが、実は、徐庶と陳羣が劉備から逃げた理由には共通点がありました。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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陳羣は劉備を嫌っていたわけではない

陳羣

 

陳羣は、豫州潁川郡(よしゅうえいせんぐん)許昌県(きょしょうけん)出身で、祖父は陳寔(ちんしょく)、父は陳紀(ちんき)、嫁は荀彧(じゅんいく)の娘という名門です。

清流派の名家に誕生した陳羣は、幼い頃から才能を認められ、陳寔はこの孫が将来一族を盛んにすると期待していました。

 

そんな陳羣が劉備の配下になった契機は劉備が公孫瓚(こうそんさん)の下を離れて陶謙(とうけん)に付き、豫州刺史(よしゅうしし)に任命されたからです。

劉備は陳羣を登用し、自身のサポート役である別駕(べつが)に任命しました。

ここまで陳羣は出仕を渋ったり、劉備をバカにした態度を取っていない点に注目しておいてください。

 



陳羣は劉備が進言を無視したから見限った?

夷陵の戦いで負ける劉備

 

さて、その後、陶謙が死去、劉備は遺言により徐州牧の後継者にされます。

 

袁術

 

正史三国志を見ると、劉備はホイホイ飛びついたわけではなく、徐州牧は私より袁術(えんじゅつ)殿が相応しいと辞退したりしていました。

特に陳羣は、劉備の徐州牧就任に反対していました。

 

「南に袁術、西に呂布(りょふ)がいて徐州を虎視眈々(こしたんたん)と狙う中で州牧に就任するのは、火中の栗を拾う事、危険ですからお止め下さい」

 

しかし、劉備は結局、孔融(こうゆう)のいう

「天が与えるものを取らねば後で悔いても追いつかない」という殺し文句に負けてしまい、徐州牧に就任してしまいます。

 

この劉備の気持ち分かりますねェ、突然に降ってきた地方官としては最高の州牧のポスト。

元は漢王室に連なるとはいえ、直近の祖先は県令どまりのショボさそのうだつのあがらない俺が、棚ぼた式に徐州牧になれるかも・・

 

腐れ儒者気質な孔融

 

しかも、名士の孔融が推薦してくれているじゃないか!これでは、分不相応な夢を見るなというのが無理です。

劉玄徳33歳、大きな手柄、これと言ってなしにとっては、州牧の地位は(まぶ)しすぎたんですよ。

 

桃園三兄弟 vs 呂布の一騎打ち

 

そして、飛びついた徐州牧のポストでしたが、陳羣の予言通り、劉備は兗州で敗北して逃げてきた呂布を引き入れてしまい

さらに袁術と抗争している途中で、徐州の州都下邳で呂布に叛かれ徐州を追い出される羽目になりました。

陳羣は劉備と同道せずに、そのまま新しい徐州の支配者になった呂布に従い、さらに、呂布を倒した曹操に仕える事になりました。

 

この陳羣の行動を劉備に愛想を尽かして、呂布、そして曹操に乗り換えたと考える事も可能です。

陳羣

 

しかし、陳羣の助言を無視したのは劉備だけではないのです。

例えば陳羣を登用した曹操も、楽安の王模(おうも)下邳(かひ)周逵(しゅうき)は人格に問題があり登用すべきではないという陳羣の忠告を無視して後に謝罪しています。

 

ところが、陳羣は曹操を見限ったりはしていません。

陳羣は主君がアドバイスを聞く・聞かないに特に大きなウェイトを置いているとは思えないのです。

 

蜀のマイナー武将列伝

 

徐庶も陳羣も劉備の経済基盤の弱さに見切りをつけた

徐庶

 

さてここで、一度、陳羣を離れて二度めに劉備が軍師に迎えた徐庶を見てみます。

徐庶は劉備が劉表の客分だった頃に、劉備の義侠心(ぎきょうしん)()れこんで配下になりました。

 

曹操に降伏する劉琮

 

ところが劉表が死んで、後継者の劉琮(りゅうそう)が曹操に対して降伏すると、南へと逃げる劉備に対して

「老母が曹操に捕らわれて心が乱れ、まともに策を立てる事もできない」として、その下から抜けているのです。

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

この徐庶、調べてみると陳羣と同じで豫州潁川郡(よしゅうえいせんぐん)の人なんですね。つまり、荊州には経済的基盤がない人と考えられます。

心配しているのが老母だけという事は、頼りにできる同族もいないという事ではないでしょうか?

 

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる!07 蔡瑁、劉備

 

劉備が劉表の客将の間は、ちゃんと給料が出ていたものが曹操による荊州支配により、また無一文の傭兵隊長に戻ってしまった。

いくらなんでも将来性もなく給料を払えそうにない社長では、老母を養う事も出来ない。

徐庶は極々シンプルにこう考えて「ちゃんと給料を払ってくれる社長についていきたい」と判断し劉備を見限ったのではないでしょうか?

 

陳羣

 

同じ事は陳羣にも言えます、名族の陳羣には養わないといけない同族が大勢いて、生活を保障できない劉備の下にはいられない。

だからこそ、ちゃんと州を抑えた人間であれば、呂布だろうと曹操だろうと仕えたのです。

 

諸葛亮と徐庶の判断を分けたもの

孔明

 

すると、こういう疑問が()いてきます。じゃあ、どうして諸葛亮は劉備についてきたのか?という事です。

諸葛亮も出身地は徐州で荊州ではありません。この点は徐庶と同じですが、ここからが違いました。

洛陽城

 

孔明は、叔父の諸葛玄(しょかつげん)の尽力で荊州の名士である龐徳公(ほうとくこう)と繋がり、姉か妹は龐徳公の息子の龐山民(ほうさんみん)に嫁いだりしています。

また、出師(すいし)の表には、自ら田畑を耕し農夫をしていたと出てくるように食べていくのに困らないだけの経済基盤が出来ていました。

曹操は荊州を安堵して、龐徳公のような名士層を殺したりしていないので、諸葛亮の経済基盤は失われたわけではないのです。

 

「将来性は微妙だが、しばらく食うには困らんし、今は無給でも劉備に付き合ってみるか・・もしかすると大化けするかも知れんし」

 

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる

 

孔明は、こういう算段で無給の劉備についていく決断をして、徐庶とは違う道を選んだのです。

 

劉備を警戒する陳羣

 

(ひるがえ)って陳羣を考えても、劉備、呂布、曹操と土地を支配して、安定した給与を支払ってくれる人間を選んでいます。

こうして考えると、劉備が陳羣と徐庶を逃がしてしまった最大の理由は財政基盤が弱くて、ちゃんと給料を払えないからkawausoはそんな風に結論します。

 

三国志ライターkawausoの独り言

 

劉備の配下って、関羽(かんう)にしろ張飛(ちょうひ)にしろ趙雲(ちょううん)にしろ実家を飛び出したアウトローで、家族を養うという概念があまりない人たちなんですね。

 

朝まで三国志2017表情 kawausoさん03 怒

 

でも陳羣だと名族で、彼の下には養わないといけない宗族が大勢いるわけで無給で将来性のない劉備の下で仕えるのは考えられないわけです。

 

劉備の不幸は、ちゃんとした人材は、夢だけ与えればOKではなくて、生活保障をしっかりしてないと、ついてきてくれないんだよという当たり前を諸葛亮を召し抱えるまで、知らなかったという事でしょうね。

 

なんというウッカリ中年なんでしょうか・・

 

参考文献:正史三国志

 

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