織田信長の心肺機能はアスリート並み?病気知らずの秘密を紹介

2020年1月1日


 

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織田信長

 

天下人織田信長(おだのぶなが)、非常に短気で華奢(きゃしゃ)な体格だったと言われている彼ですが、意外な事に信長公記(しんちょうこうき)などの史料には信長が病を(わずら)ったという記録が出てきません。本能寺で非業(ひごう)の最期を遂げるまで健康優良児だった信長ですが、その秘訣(ひけつ)は岐阜城と(ふもと)を毎日往復し足腰と心肺機能を高めた結果得られたのかも知れません。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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岐阜城は信長のマイホームだった

 

織田信長は永禄十年に斎藤龍興(さいとうたつおき)が籠城する稲葉山城を陥落させ、その縄張りを破棄して、頂上に天主(てんしゅ)と呼ばれる居住空間を持つ岐阜城(ぎふじょう)を築きました。信長は眺望(ちょうぼう)がよい天守閣に家族や人質と共に住んだようです。同時に信長は岐阜城をプライベートルームとし家臣が許可なく城に登る事を禁止し、政務を執る時にはわざわざ城を下りて(ふもと)の政庁で執務をしていました。

ルイス・フロイス

 

宣教師ルイスフロイスが岐阜城に招かれた時の事を読むと極めて豪華な部屋で婦人達と息子が信長に仕えていた、とか、信長と語る事を望む(まつりごと)の要件があるものは、彼が頂上の城から出て麓の館に下りてくるのを待ち受けるのですと記録しています。

 

このように、信長にとっての岐阜城はマイホームでしたが、仕事の場は兼任せず、執務は麓の居館で行っていた様子が見て取れます。信長はそれまで砦の延長で仮住まいだった城を権力者が普段から住む住居に変化させた人物でした。ただ、好んで天守閣に住んだ権力者は信長一人だったようです。個人的に高い所が好きだったんですかね?

 

高さ329メートルの金華山から麓まで9年間上り下り

鼻をほじりながら無関心な織田信長

 

しかし岐阜城から上り下りと言ってもそんなに簡単ではありません。城は金華山(きんかざん)という標高329メートルの山の頂上にあり、麓まで往復するだけで90分もかかるのです。もちろん通路は多少整備されているとしても山の上り下りには違いありません。

 

はじめての三国志編集長kawauso

 

kawausoは健康の為に、一日60分のウォーキングを昼と夜の二回やっていますが、それは概ね平地であり山道ではありません。それを山道でやるというのは、慣れていないと相当キツいトレーニングになるでしょう。

マラソン日本代表として走る中村勘九郎 いだてん

 

信長は、この岐阜城から麓の居館までの上り下りを9年間も続けていました。大げさでなくアスリートなみの足腰と心肺機能を培っていたと考えられます。人間五十年、病気知らずの信長の健康法は日常的な高山トレーニングだったんではないでしょうか?

 

織田信長スペシャル

 

10階建て高層ビルを毎日上り下りした安土時代

安土城 織田信長が作らせた城

 

天正九年(1579年)織田信長は岐阜城を離れ、安土城に居城を移します。どうも信長は高い場所が好きだったようで、こちらも標高198メートルの安土山の山頂に建設されました。安土城は岐阜城よりもさらに大きく本格的な天主閣を持つ高さ30メートルの建築物で、現在の10階建ての高層ビルに匹敵します。安土城もまた天主閣は信長と家族の居住スペースであり、執務は本丸御殿で行われていたと考えられています。本丸は目と鼻の先にありますが、安土城は六層建てで30メートルの高さがあり高層ビルに匹敵するのです。

明智光秀を信頼する織田信長

 

ここを毎日階段で上り下りしていたのですから、信長の足腰は例え合戦に参加する機会が減っても、衰える事は無かったでしょう。高い所が大好きという煙みたいな性格が信長の足腰と心肺機能を鍛えて、信長を病気知らずにしたのかも知れません。

 

心肺機能が強かった証拠 信長の大声

南蛮胴を身に着けた織田信長

 

織田信長の心肺機能の強さについては、並外れた彼の大声でも確認できます。江戸初期の俳人である松永貞徳(まつながじょうとく)は少年時代の天正九年(1581年)2月28日。京都で信長が挙行した騎馬武者の行列である馬揃(うまそろ)えを見物しようと外に出ますが、大人達に「危ない人もいるから自宅で見物していなさい」と諭され渋々家で見物する事にしました。

藤原京

 

すると、たまたま家の前を通った武者行列から「なぜ動かぬ!先がつかえたのかァ!」という雷のような信長の怒鳴り声が聞こえて貞徳は飛び起きたそうです。この怒鳴り声、貞徳の居た三条衣棚町から4~500メートル離れた場所にいた人にもハッキリ聞こえたのだそうで、大きいばかりでなく、かなり通る声だった事が分かります。

キレる織田信長

 

また、ルイスフロイスも信長の性格について「攻撃的でせっかち、声がデカい」と評していますし、1556年の稲生の戦いでは、弟の信勝について信長の本陣を攻めていた柴田勝家や林秀貞の兵士を大声で怒鳴りつけて追い散らし形勢逆転したという信じられない逸話もあります。それに、信長の鉄砲訓練の号令は非常にうるさく、鉄砲足軽はしばしば難聴(なんちょう)になったとも言われているので、信長の大声はどうやら喉だけではなく心肺機能を駆使した腹式呼吸ではなかったかと推測します。

kawauso

 

つまり信長の大声は毎日、山の山頂から階段を上り下りしたり、高層ビル並みの安土城の階段の上り下りを繰り返す間に心肺機能が鍛えられる中で、培われたものではないかと考えられるのです。もちろん元々が大声だった事もあるでしょうが・・

 

元祖かかとなしスリッパを愛用

馬に乗って戦う若き織田信長

 

信長の肉体の頑強さは、うつけと呼ばれていた少年期まで遡ります。信長公記によると少年時代の信長は腰に足半(あしなか)と呼ばれる草履(ぞうり)を常に結わえ付けていました。この足半はかかとの部分がカットされた草履で走り回るのに便利、そして鼻緒の位置が前にあるので、足の指が草履の縁にかかるので自然に足指のふんばりが効きます。足半を履くと、土踏まずのアーチが発達して、つま先とかかとで体重を支える事が出来、姿勢が真っすぐになるので、肩こりや腰痛を予防する効果がありました。若き信長も足半を履いて野山や戦場を駆け回ったと考えられ、姿勢がよく、肩こりも腰痛も無かったのかも知れません。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

 

織田信長と同時代の英傑には、持病を抱えていた大名が結構います。上杉謙信(うえすぎけんしん)は唯一の欠点である大酒飲みによって糖尿病、武田信玄(たけだしんげん)は家臣に気を使いすぎて胃がん、徳川家康(とくがわいえやす)も小牧・長久手の戦いの最中に不衛生な環境とストレスのせい、背中におできが生じ、指揮が執れなくなる程に悪化した事があります。

 

燃える本能寺

 

そんな病気持ちのライバルに比較すると、病気らしい病気をした事がない信長は本能寺の変が無ければ、かなり長生きした可能性もありますね。もっとも、怒鳴るなど短気な性格があるので、血小板がストレスでトゲトゲになって血管の壁にひっついて血栓になり動脈硬化や心筋梗塞で倒れる可能性もありますけど・・

 

参考文献:偉人達の健康診断 歴史に学ぶ健康法 マガジンハウス

 

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