2020年のNHK大河ドラマ麒麟がくる。明智光秀を主人公にしたこのドラマの冒頭で、光秀が暮らしている美濃の明智荘は野武士の集団に襲撃されています。いつ果てるとも知れない殺し合いに嫌気が差す若き光秀ですが、ドラマでは武士然として描かれる野武士、実際には武士じゃない事が多い、強きに従い弱きを挫く農民集団でした。
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この記事の目次
野武士とは、落ち武者を狩る不良農民の事
広辞苑には野武士とは、中世に落ち武者などを脅迫して甲冑などを剥ぎ取った農民の武装集団と出ています。武士という名前がつくので、私達は先入観で主君を失った武士が食い詰めて略奪を働くようになったと考えがちですが、実は、生粋の武士が野武士になる事は少なく、普段は農業をしている百姓が、徒党を組んで落ち武者狩りなどをして生計の足しにしている事が多かったのです。
つまり、野武士の主な仕事は戦に敗れて落ちていく生粋の武士を襲って殺害し身ぐるみを剥ぐ事であり、だから、生粋の武士の野武士は少ないわけです。だって落ち武者になると野武士に狩られる身分になってしまうのですからね。
このような農民は、乙名百姓と呼ばれ、農業は子百姓と呼ばれる専業農民に任せて、徒党を組んで他の荘園や村を襲う事もあったようです。だから、明智荘を襲った野武士も、その正体は乙名百姓の可能性が高いかもです。
非常に怖い戦国惣村の論理
大昔の農村というと、私達は時代劇のイメージで、武器は鍬や鎌しか持った事がない善良で臆病な農民を想像しますが、それは豊臣秀吉により武装を解かれた後の農村であり、戦国時代頃の農村は、遥かに殺伐としていました。
幕府や荘園領主の力が衰えた室町後期、度重なる合戦に対して農民は立ち上がり、惣村というシステムを組織します。惣村は乙名と呼ばれる村の指導者層と、沙汰人と呼ばれる、荘園領主や荘官の代理、そして、若衆と呼ばれる警察、自衛、消防、普請、耕作をする戦闘員クラスに別れていて、惣掟を定めて合議制で村の方針を決定していました。
鉄の団結を誇る惣は、村に侵入してくる部外者を実力で排除し、基本、誰にも頼らずに村の利益を守っていたのです。また、中世には没落したり、戦に敗れた公家や武士は法で守られないという不文律があり、ここから負けたヤツからは身ぐるみ剥いでも、殺してもノープロブレムという荒々しい風潮が蔓延し、落ち武者狩りが起こるようになったのです。
野武士の犯罪テクニック
野武士と言っても、別に常に落ち武者狩りや、他村を襲っていたわけではありません。当時は、相手も武装しているのが当たり前なので逆襲されて被害が出る事もあり、野武士の中には、反撃されるリスクが低い犯罪方法も考案していました。
例えば、蜂屋郷の八という野武士は東善寺の延念という裕福な坊主から金を脅し取ろうと女を強引に寺に泊まらせてから、「俺の女になにしやがる!」と踏み込むという美人局という古典的な犯罪でカネを取ろうとしますが、用心して女を寺の中にいれなかった延念は頑として脅しに屈さず信長に訴えたので、八と女は捕らえられ処刑されてしまったという話が信長公記に出てきます。
それ以外にも、野武士は、野山を歩くので毒草に詳しく、吹矢にトリカブトの毒を塗って、要人を暗殺するような忍者まがいの事もしていたそうです。現在でも、行商で薬などを売り歩く人を香具師と言いますが、この語源は野の武士、野士から来たとも言われていたそうです。
因果は巡る?野武士に討たれる光秀
初回放送では、野武士を撃ち果たしていた光秀ですが、本能寺の変で主君信長を討った後に中国大返しを果たした羽柴秀吉に山崎の合戦で敗れ、本拠地の坂本城に逃げ戻る途中に落ち武者狩りの野武士に襲われ首を討たれています。
これは別に、光秀が不人気だったからではなく、戦国時代当時は、その領域の支配者の権力が不安定になるとどこでも起きた事でした。事実、別に戦に負けたわけでもない家康も、落ち武者狩りに狙われ、金品を撒いたり、従者が武力で脅したりして、なんとか伊賀まで逃げのびて土豪に守られています。光秀の場合には、敗戦で疲労困憊している上に、ついてきている従者もなく、野武士を追い散らせる金品も持たなかった事が仇になりました。初回で野武士を撃退し、最後に野武士に討たれる設定なら、因果は巡るとも言えますね。
ライバル羽柴秀吉が落ち武者狩りを無くす
室町から戦国時代にかけて、自力救済と落ち武者狩りでYourshock!だった惣村から牙を抜いたのは、皮肉にも光秀のライバルの羽柴秀吉でした。秀吉は天下を取ると、慶長二年(1597年)に私的な成敗を禁止する法令を出して、落ち武者狩りを禁止します。これにより、おっかない自力救済の独立した村だった惣村からは急速に牙が抜かれていきました。例えば、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成を発見した農民は、これを殺して金品を奪うのではなく、落ち武者を捜索していた田中吉政に通報しています。このことから、天下が平定されるのに従い、惣村は急速に落ち武者狩りをしなくなった様子が見て取れるのです。
戦国時代ライターkawausoの独り言
このように、戦国時代の農村は自力救済と落ち武者狩りで鍛えられ、時代劇で見るような、「おサムライ様のイザコザにオラ達は迷惑してるだよー」と途方に暮れている人たちばかりではありませんでした。戦っているのは武士だけでなく、日本中であらゆる階層が戦いに参入していたんですね。
参考文献:現代語訳 信長公記
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