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【麒麟がくる】野武士の正体はサムライじゃなくて農民?

2020年1月19日


 

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明智光秀

 

2020年のNHK大河ドラマ麒麟(きりん)がくる。明智光秀(あけちみつひで)を主人公にしたこのドラマの冒頭で、光秀が暮らしている美濃の明智荘(あけちそう)は野武士の集団に襲撃されています。いつ果てるとも知れない殺し合いに嫌気が差す若き光秀ですが、ドラマでは武士然として描かれる野武士、実際には武士じゃない事が多い、強きに従い弱きを(くじ)く農民集団でした。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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野武士とは、落ち武者を狩る不良農民の事

 

広辞苑(こうじえん)には野武士とは、中世に落ち武者などを脅迫して甲冑などを剥ぎ取った農民の武装集団と出ています。武士という名前がつくので、私達は先入観で主君を失った武士が食い詰めて略奪を働くようになったと考えがちですが、実は、生粋(きっすい)の武士が野武士になる事は少なく、普段は農業をしている百姓が、徒党を組んで落ち武者狩りなどをして生計の足しにしている事が多かったのです。

 

日本戦国時代の鎧(武士)

 

つまり、野武士の主な仕事は戦に敗れて落ちていく生粋の武士を襲って殺害し身ぐるみを剥ぐ事であり、だから、生粋の武士の野武士は少ないわけです。だって落ち武者になると野武士に狩られる身分になってしまうのですからね。

 

このような農民は、乙名百姓(おとなひゃくしょう)と呼ばれ、農業は子百姓(こびゃくしょう)と呼ばれる専業農民に任せて、徒党を組んで他の荘園や村を襲う事もあったようです。だから、明智荘を襲った野武士も、その正体は乙名百姓の可能性が高いかもです。

 

非常に怖い戦国惣村の論理

 

大昔の農村というと、私達は時代劇のイメージで、武器は(くわ)(かま)しか持った事がない善良で臆病な農民を想像しますが、それは豊臣秀吉(とよとみひでよし)により武装を解かれた後の農村であり、戦国時代頃の農村は、遥かに殺伐としていました。

 

幕府や荘園領主の力が衰えた室町後期、度重なる合戦に対して農民は立ち上がり、惣村というシステムを組織します。惣村は乙名(おとな)と呼ばれる村の指導者層と、沙汰人(さたにん)と呼ばれる、荘園領主や荘官の代理、そして、若衆(わかしゅう)と呼ばれる警察、自衛、消防、普請、耕作をする戦闘員クラスに別れていて、惣掟(そうおきて)を定めて合議制で村の方針を決定していました。

三国志のモブ 反乱

 

鉄の団結を誇る惣は、村に侵入してくる部外者を実力で排除し、基本、誰にも頼らずに村の利益を守っていたのです。また、中世には没落したり、戦に敗れた公家や武士は法で守られないという不文律があり、ここから負けたヤツからは身ぐるみ()いでも、殺してもノープロブレムという荒々しい風潮が蔓延し、落ち武者狩りが起こるようになったのです。

 

麒麟がくる

 

野武士の犯罪テクニック

幕末 魏呉蜀 書物

 

野武士と言っても、別に常に落ち武者狩りや、他村を襲っていたわけではありません。当時は、相手も武装しているのが当たり前なので逆襲されて被害が出る事もあり、野武士の中には、反撃されるリスクが低い犯罪方法も考案していました。

 

悪党(鎌倉)

 

例えば、蜂屋郷(はちやごう)(はち)という野武士は東善寺の延念(えんねん)という裕福な坊主から金を脅し取ろうと女を強引に寺に泊まらせてから、「俺の女になにしやがる!」と踏み込むという美人局(つつもたせ)という古典的な犯罪でカネを取ろうとしますが、用心して女を寺の中にいれなかった延念は頑として脅しに屈さず信長に訴えたので、八と女は捕らえられ処刑されてしまったという話が信長公記(しんちょこうき)に出てきます。

 

戦う忍者

 

それ以外にも、野武士は、野山を歩くので毒草に詳しく、吹矢にトリカブトの毒を塗って、要人を暗殺するような忍者まがいの事もしていたそうです。現在でも、行商で薬などを売り歩く人を香具師(やし)と言いますが、この語源は()の武士、野士(やし)から来たとも言われていたそうです。

 

因果は巡る?野武士に討たれる光秀

燃える本能寺

 

初回放送では、野武士を撃ち果たしていた光秀ですが、本能寺の変で主君信長を討った後に中国大返しを果たした羽柴秀吉に山崎の合戦で敗れ、本拠地の坂本城に逃げ戻る途中に落ち武者狩りの野武士に襲われ首を討たれています。

 

若い頃の徳川家康(松平元康)

 

これは別に、光秀が不人気だったからではなく、戦国時代当時は、その領域の支配者の権力が不安定になるとどこでも起きた事でした。事実、別に戦に負けたわけでもない家康(いえやす)も、落ち武者狩りに狙われ、金品を撒いたり、従者が武力で脅したりして、なんとか伊賀まで逃げのびて土豪に守られています。光秀の場合には、敗戦で疲労困憊している上に、ついてきている従者もなく、野武士を追い散らせる金品も持たなかった事が仇になりました。初回で野武士を撃退し、最後に野武士に討たれる設定なら、因果は巡るとも言えますね。

 

ライバル羽柴秀吉が落ち武者狩りを無くす

宴会好きな豊臣秀吉

 

室町から戦国時代にかけて、自力救済と落ち武者狩りでYourshock!だった惣村から牙を抜いたのは、皮肉にも光秀のライバルの羽柴秀吉でした。秀吉は天下を取ると、慶長二年(1597年)に私的な成敗を禁止する法令を出して、落ち武者狩りを禁止します。これにより、おっかない自力救済の独立した村だった惣村からは急速に牙が抜かれていきました。例えば、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成(いしだみつなり)を発見した農民は、これを殺して金品を奪うのではなく、落ち武者を捜索していた田中吉政(たなかよしまさ)に通報しています。このことから、天下が平定されるのに従い、惣村は急速に落ち武者狩りをしなくなった様子が見て取れるのです。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

 

このように、戦国時代の農村は自力救済と落ち武者狩りで鍛えられ、時代劇で見るような、「おサムライ様のイザコザにオラ達は迷惑してるだよー」と途方に暮れている人たちばかりではありませんでした。戦っているのは武士だけでなく、日本中であらゆる階層が戦いに参入していたんですね。

 

参考文献:現代語訳 信長公記

 

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麒麟がきた

 

 

 

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