司馬懿の性格は誤解されている!?忠臣司馬懿の姿

2020年1月25日


 

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司馬懿

 

皆さんは三国志に出てくる司馬懿(しばい)、司馬仲達についてどのようなイメージを抱いているでしょうか?

もしかして司馬懿にはあまり良いイメージがない、という人が多いのではないですか?

 

司馬懿

 

特に性格については……狡賢い、腹黒い、悪役のようなイメージがあるのではないかと思います。今回はそんな司馬懿の性格イメージを変えていくべく、忠臣司馬懿について少しお話したいと思います。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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司馬懿の性格イメージは三国志演義の影響が大きい

司馬懿

 

司馬懿のイメージで「悪役」というイメージをもっていう人の多くが、三国志演義のイメージから司馬懿という人物像を作り上げている人が多いですね。というのも仕方のないことで、この三国志演義は蜀びいきな描写が多いことで有名です。

 

司馬懿

 

また少し例を出すと、この三国志演義を元にした通称吉川三国志は更に、そこから漫画である横山三国志は更に蜀が主人公という役割になっており、敵役はどうしても悪役として描かれます。

 

チビってしまう司馬懿と孔明

 

その中でも司馬懿は孔明の敵として描かれるので、司馬懿のイメージがあまり良くなくなるんですね。司馬懿もまた演義の被害者グループの一人、と言えるかもしれません。

 

司馬懿は簒奪者か?

司馬懿を欲しがってた曹操

 

司馬懿についてクーデターを起こした人物、魏の国を乗っ取った簒奪者(さんだつしゃ)のように思われていることがありますが、実際に司馬懿は簒奪者ではありません。司馬懿は曹操(そうそう)曹丕(そうひ)曹叡(そうえい)と仕えてきて、しっかりとした働きを行っています。

 

司馬懿と曹叡

 

実際に司馬懿は対蜀の司令官的立場を与えられていますが、このような役割は能力だけでは務まりません。それだけの能力に加えて信頼されているからこそ、この地位が与えられているのです。司馬懿は能力だけでなく、その能力を発揮し、信頼されるだけの働きをしていたのです。

 

晋の司馬師は玉座に座る

 

クーデターの件に関しても、クーデター後には丞相、相国への就任要請を死ぬまで断り続けており、息子の司馬師(しばし)が衛将軍に任じられただけに留めています。ただしこれは簒奪者と言われたくなかったのでは?とも言えますが……これに対しては、後ほど話しましょう。

 

曹一族との関係

司馬懿と曹丕

 

曹操は司馬懿に関して、能力こそかっていたものの「誰かの下につく人間ではない」と評して、息子である曹丕に何度も忠告したと言われています。しかしそれに反して曹丕は司馬懿を寵愛し、四友の一人にまでされています。また曹丕の息子である曹叡も司馬懿を良く用いました。司馬懿もまたこの二人の信頼にこたえたと思います。

 

頭を下げて礼を尽くして接する司馬懿

 

ここで振り返りたいのが、司馬懿のクーデター後の対応。司馬懿は死ぬまで丞相、相国への就任要請を死ぬまで断り続けましたが、そんな司馬懿は最後にこんな言葉を息子たちに残したとされています。それは「魏の国の臣下であるという節度を持って生きるように」というものです。

 

司馬懿が頭を下げても堂々とする常林

 

この言葉がどのような意味を含んでいたのかは分かりません。しかし筆者はこの言葉から、司馬懿は魏に忠誠を誓っていたのではないか、と思わずにはいられないのです。

 

司馬懿の「忠臣」イメージ

司馬懿と曹爽

 

個人的なイメージではありますが、司馬懿は忠臣である、と思います。しかし自分の全てを国に捧げ、捨てられる、忠義に殉じて敗北者になれるほどの人物でもなかったとも思います。クーデターの行為全てが忠義からではなく、ある種の自分を守るための行動も含まれていたと思うのです。それでもなお、そこだけを切り取って司馬懿は簒奪者だ、と言われるほど忠義心は低くないと思います。

 

司馬懿

 

保身があるのは誰でも当然のこと、しかし忠義心は確かにある。それが筆者の司馬懿のイメージですね。

 

司馬懿と司馬師

 

少し熱くなってしまったので、最後に少し、司馬懿の面白い話をしましょう。三国志演義では蜀の敵、孔明の敵は無残な最期を迎えるのが定番とも言えますが、実は司馬懿はこれに当てはめられていないのです。司馬懿は息子たちに見送られてベッドの上で静かに亡くなります。

 

年を取った司馬懿

 

これは当時司馬懿への悪感情がそれほどなかったからなのか、一度でも帝位を贈られた人物を非難できなかったのか……どちらにせよ、面白い人物ですよね、司馬懿は。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

近年では、簒奪者イメージの司馬懿ではなく、あくまで魏の忠臣である司馬懿のイメージも広がって来ており、とても嬉しいと思っています。野心溢れる司馬懿も嫌いではないのですが、司馬懿のやってきた功績をなかったことのようにされ、クーデターのイメージばかり取られるのはやはり悲しいです。個人的な感想になって恐縮ですが、もっと中心である司馬懿のイメージも見てみたいですね。

 

参考文献:晋書帝紀第1 宣帝

三国志演義

 

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