【麒麟がくる】織田信長と帰蝶の婚姻はどんなもの?戦国大名同士の結婚事情


 

「麒麟(きりん)がくる7話「帰蝶の願い」では、織田信秀(おだのぶひで)斎藤利政(さいとうとしまさ)和睦(わぼく)の為に利政の娘の帰蝶(きちょう)と、信秀の嫡男(ちゃくなん)信長(のぶなが)の縁組が画策(かくさく)されました。では、当時の戦国大名同士の結婚とは、どのようなものだったのでしょうか?

 

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督姫と北条氏直の婚姻を参考にしてみる

同年小録(書物・書類)

 

戦国時代の大名同士の婚姻はほぼ政略結婚でした。

当時は嫁取り婚であり、婿(むこ)の家に輿入れした女性は大事にはされましたが、両国に(いさか)いがあれば、真っ先に殺害される人質という側面を持っています。

麒麟がくるでも、婚姻に前向きな利政に対し、光秀は織田との関係が破綻すれば帰蝶の命が危ない事を理由に反対しています。

さて、信長と帰蝶の婚姻については確たる史料がないので、今回は時期が近い、天正十一年(1583年)徳川家康の娘である督姫(とくひめ)北条氏政(ほうじょううじまさ)の嫡男、北条氏直(ほうじょううじなお)の縁組や、元亀(げんき)三年の朝倉義景(あさくらよしかげ)の娘と本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)の息子教如(きょうにょ)の縁組のケース等を参考にします。


日取りと結納

アフリカの冥婚

 

婚姻の合意が図られると、次は日取りに向けて吉日(きちじつ)を選ぼうと、両国間を使者が往来します。現在でもそうですが、戦国時代は婚姻の日取りに非常に縁起を担いだようです。

前述の北条氏と徳川氏の婚姻でも、相模(さがみ)駿河(するが)の間を流れる川が洪水を引き起こしたので、日取りが延期された事があります。

何事にも(つつが)なく、難癖(なんくせ)がつかないようにという配慮は、今も昔もそんなに変わらない人情というものかも知れません。滞りなく日取りが決まると次は結納(ゆいのう)で、婿の家から嫁の家に対して金品が贈られました。

元亀三年(1572年)の朝倉家と本願寺家の結納では、太刀や馬などをお互いに贈り合っています。これは一回ではなく、複数回贈答が繰り返される事もあります。

結納が済むと日取りを決めた日に輿入れとなります。

 

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輿入れは一大パレード

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輿入れは、現在で言う披露宴(ひろうえん)にあたり、つまりは嫁が婿の家に移動し共同生活を始めるという事です。

これは、必ず人目に触れる事であるので、当事者になる戦国大名は威信を賭け盛大な散財をしました。

 

延徳(えんとく)三年(1491年)越前(えちぜん)守護の朝倉貞景(あさくらさだかげ)は、美濃国(みののくに)守護土岐氏(ときし)の守護代、斎藤妙純(さいとうみょうじゅん)の娘と婚姻しましたが朝倉氏は輿入れの返礼として、騎馬に五十貫、(かち)衆には二十貫を支払ったほか、輿入れには総額二万貫文、現在の価格で二十億円を費やしました。

これは、輿入れの道中での様々な経費の合計でしょうが、輿入れの行列がかなりの長さに到達した事を示唆しています。

 

天正(てんしょう)十三年、北条氏政(ほうじょううじまさ)武蔵岩付(むさしいわつき)城主の太田資房(おおたすけふさ)の娘との輿入れの行列は、江戸から岩村までの記録があり、行列は1番から18番まで編成され、責任者には太田氏、総奉行には宮城氏と豊島(としま)氏が任じられ、御物奉行(おものぶぎょう)御荷奉行(おにぶぎょう)等が定められていました。さらに、女騎(にょき)と呼ばれる女性だけの騎兵も編成されたそうです。


私語厳禁、身振り手振り不可

源義経 鎌倉時代

 

輿入れの行列は、大名行列並みに厳しい規律が課されていました。輿入れに参加する者は、衣服をピシッと整え、担当者の指示に従い無駄口を禁止され、周辺をきょきょろ見まわしたり、手を振るのも禁止されました。

ここには、輿入れが、ただの婚姻に留まらず、ふんだんに財力を駆使して行列をきらびやかに整え、周辺の住民や戦国大名、国人領主に自分の権力を見せつける意図があった事を物語ります。

 

時に輿入れ行列は1万人以上にもなったと言われ、大規模な合戦並みの動員数でした。

どちらかと言えば、輿入れする娘の幸福より家の論理が優先されるというのが、戦国時代、大名同士の結婚の現実だったのですね。

 

費用は織田家が出すので利政ウハウハ

斎藤道三

 

ここまでの婚姻の経緯(けいい)を見ると、輿入れの費用は嫁を取る婿サイドの戦国大名が全額出している様子が窺えます。これを織田家と斎藤家の関係で考えると、輿入れ行列に掛かる費用は織田家が負担する事になりそうです。

織田家は金銭的に余裕があり斎藤家は火の車なのですから、ケチの利政にとっては、帰蝶と信長の縁組は、濡れ手に(あわ)という感じでしょう。ただ、力関係では人質を出す方が弱いという事になりますから、斎藤家の立場が弱い事になります。

 

婚姻後も続く緊張

斎藤道三の娘・帰蝶

 

婚姻したら、嫁は嫁ぎ先に従うかというと、そうでもありません。

輿入れの時には、嫁だけではなくお付きも大勢嫁ぎ先に乗り込む事になるので、それらの人々はスパイとして実家に情報を流す事になります。

 

もちろん、嫁いだ女性もスパイとして実家に情報を流すように躾けられたので、夫との間には常に緊張状態が流れる事になります。政略結婚では夫婦仲が上手く行かない事も多かったのですが、それも戦国大名の娘が正室の場合、完全に心を許す事が出来ないというのが、原因だったのかも知れません。

 

麒麟がくるでも、帰蝶は織田家に嫁いだ後も、斎藤家の家督を腹違いの兄、高政から同母弟(どうぼてい)斎藤喜平次(さいとうきへいじ)に譲らせようと色々画策していますが、嫁いだからと言って、それで嫁と実家との関係が断絶するわけではないのです。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

帰蝶と信長の婚儀については、信長公記に一行くらい出てくるだけで、詳しい事が分かりません。信長との結婚生活についても、若くして病死したという説や早期に離婚したという話があるかと思えば、本能寺で信長と共に死んだという説や、本能寺も生き延び、徳川幕府成立後まで存命だったという説もあります。

 

つまり、何とでも言える程に定説がないという事で、光秀同様に謎が多い人物だと言えます。もっともそれは帰蝶だけに限らず、戦国の女性は多くそうなんですが・・

 

参考文献:真実の戦国時代 渡邊大門編

 

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