献帝は三国志の登場人物の一人でもあり、後漢の最後の皇帝です。しかし彼を含んだ皇帝たちと言えば、早逝であることが殆どであり、同時に「色々な」死因が付き物。
そこで今回は献帝の死因は何だったのか?どんな死因が考えられるのか?をテーマに考えていきたいと思います。しかしこのテーマで調べて行くと、面白いことが色々と分かりました。
今回はその面白かった点についても色々と書かせて頂きたいと思いますので、よろしくお願いしますね。
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献帝の父、霊帝
献帝の父は、霊帝と呼ばれます。
残念ながら彼の政治に関しては、評価が低いことを言わざるを得ません。宦官たちの傀儡として扱われていたのはもうあの時代の皇帝には珍しいことではないのですが、不幸にもこの霊帝の時代には自然災害が多発しました。
当時、自然災害が起こるのは帝の政が良くないから、と言われていたこともあり、霊帝の評価はどんどん下がります。
その上、霊帝は王朝を立て直しを考えてやったことが、結果的に民をより苦しめることとなり、黄巾の乱を招いてしまったことが彼の低評価に繋がってしまったのだと思われます。
霊帝は189年、国が乱れるだけ乱れる中崩御、御年34歳。早すぎる死ですが、死因としては病死です。個人的には心労から亡くなったのではと推測しています。
毒殺も考えられなくはないですが、それならばもう少し後継者関係をはっきりさせてから行われたのでは……?とも思うので、やはり乱れすぎた世に頭を悩ませて病死、が妥当ではないかと思われます。そもそも、都合の良い傀儡は毒殺されないと思いますから……ともあれ、霊帝の死後、もっと世は乱れていきます。
献帝が生き残った年月
さて息子である献帝の生年は181年、没年は234年。54歳にて崩御と伝えられています。軽く彼の生涯を振り返りますと、霊帝の次男で王美人の息子でしたが、母親は何皇后と対立したことで毒殺されます。父親も早くに亡くなりましたが、祖母によって庇護されていたので何とか宮廷内でも生き残れました。
その後は董卓によって傀儡にされ、最終的に曹操によってやはり傀儡にされました。近しい人らも曹操に粛清されるも、彼自身は生き残りました。
後の時代、いくつもの王朝で多くの皇帝が殺されてること思うと、ここまで生き残れたのは献帝の運の凄さ、でもあると思います。
献帝の死因は伝えられていないが・・・
さて献帝の死因は何だったのでしょうか。実際に献帝の死因は伝えられていません。しかし禅譲した帝の死、ともなるとその死には何らかの関与があったのでは?と思ってしまいますよね。
ですが筆者は、献帝は天寿を全うしたのではないか、と推測しています。
というのも220年10月に献帝は曹丕に禅譲します。そして献帝が没したのは234年、禅譲してからも献帝は長く生きました。没した年齢も54歳と考えると、この乱世において長く生きれた方だと思います。
禅譲してから死んだ年なども考えて、毒殺などの線も薄いのではないでしょうか。そもそも、献帝は禅譲してからもそこそこ敬意を持って扱われていたのでは?とも思われる理由があります。
献帝の人生は、孤独であったのか?
献帝は曹丕に禅譲して、山陽公の称号を与えられ住処を山陽県に移されました。確かに格下げ、穏やかに行われたとはいえ皇帝の地位は奪われたと言っても良いでしょう。
しかし献帝は禅譲後も皇帝のみ使える一人称である「朕」の使用を認めてもらえ、漢王朝の暦を使う事を許されるなど献帝まで引き継がれてきた王朝の存在そのものを消すようなことはされなかったのです。これは彼に対しての、少なからずの敬意があったと思われます。
また三国志演義では献帝に禅譲しろと迫る曹操の娘、曹皇后も実際には玉璽を兄の曹丕に渡さないようにと使者たちを罵るなどし、最後には山陽公となった献帝に山陽公夫人として従いました。紆余曲折あったとはいえ、献帝は最期の最期まで孤独ではなかったのでは……と思ってしまいます。決して幸福ではなかった人生だったでしょうが、最期は全てから解放されて穏やかに迎えられたのではないか、と願ってしまいますね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は献帝の死因を探ってみるというテーマでしたが、そこから献帝の関係者たちの死因についても色々と考えることができました。もちろん皇帝という人物が非常に多忙であり、肉体的、精神的にも大変な仕事であることもそうでしょうが、それ以上に権力者という位置にいる以上、色々な「死因」があるんだということを思い知らされた気がします。
それを思うと曹操に保護された献帝は、そこまでもそこからも様々なことがあったとはいえそこそこ幸運だったのでは……?と思わざるを得ませんね。話は変わりますがそう言った面からも曹操をもっと評価してくれても良いのでは?なんて思ってしまいました。
参考文献:後漢書献帝紀 皇后紀下