個人的な意見ですが、三国志演義は三国志の入門として非常に優れていると思います。様々な人物が非常に魅力的に描かれていて、ストーリーがあり、何よりも読みやすいというのがメリットですね。
何を隠そう筆者も横山三国志から三国志の世界に飛び込んだ人間の一人です。しかし三国志演義で少し気を付けたいのが、キャラクター改変、特に三国志演義では曹操の悪役化が目に付きますね。そこで今回は悪役だけではない、曹操の人物像を色々語りたいと思います。
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曹操のプライベート人物像 お酒と曹操
さて曹操のプライベートを見てみてちょっと意外なのが、お酒を好んでいたことです。お酒と言えば孫権……あまり良くない意味で……というイメージがありますが、曹操も意外にお酒好きだったのが彼の書いた詩から分かります。
「人生などどれ程の物だろうか。ただ、その楽しみは酒だけだ」
これは短歌行の一文ですが、曹操はかなりお酒が好きで、酒宴を開くことが多かったようです。といってもお酒が好きというよりは皆で笑い合って飲むその空間が好きだったようで、いつも酒宴では朗らかに笑っていたとのことです。
ちょっとこの辺は孫権も見習った方が……げふんげふん。
決して冷酷一辺倒ではない曹操の一面
曹操が悪役として描かれる時に良く見られるのが、その冷酷苛烈さです。しかし実際の曹操はそこまで冷酷な人物ではありません。
官渡の戦いで袁紹軍を破った曹操は勢いに乗って北方の平定に繰り出します。が、部下たちはこれに反対……それを押し切って曹操は出陣しますが、伝染病が流行するわ干ばつで水もないわ散々な状態になり、何とか北方平定は成功させるもボロボロの状態で帰還することになりました。
曹操はこの時「今回の勝ちはあくまで幸運であり、部下たちの意見の方が正しかった」と反省、部下たちに「これからも遠慮なく意見を言ってくれ」と謝ったと言います。
こういった自らを省みることができるのが曹操の強みだったのかもしれませんね。実際に人材マニアと言われるほど多くの人材を集め、人材育成に気合を入れていたからこそ魏の国は三国の覇者となれたと思います。
曹操の悪癖・・・?
さて曹操の人物像として、悪癖も紹介しましょう。曹操はかなり女好きであったとも言われています。良く言われる、三国志演義でも出てくるシーンですが、苑城の戦いでは未亡人に手を出したことがきっかけから息子・曹昂と忠臣・典韋を失っています。
曹操は戦死した場所を通るたびに典韋を弔いましたが、一方で曹昂の育ての母である丁夫人は曹操を激しく恨んで離縁することになりました。
曹操は何度も罵倒されても丁夫人を諦めきれず、何度も復縁の手紙を送りました。その一方で曹操の皇后となった卞夫人は元々は歌妓、分かりやすく言うと芸子さんです。
この事から曹操は「自分の」婚姻に関しては身分や地位などはあまり考えておらず、一人の男性として女性たちを愛していたことが分かりますね。政治家、軍略家、芸術家、多方面に溢れる才能を持つ曹操も、恋の前では一人の男性だった……と思うと、何だか親しみがわきませんか?
曹操の育ちに関して
最後に少し、曹操の育ち、出身に関してお話しましょう。曹操は良く「宦官の家系」と謗られることがあります。曹操の祖父は曹謄といい、後漢の宦官でした。彼は夏侯氏から養子として曹嵩を貰い、その子として曹操が産まれました。
この宦官の養子というのは当時、かなり地位がないと貰えなかったそうなので、曹操は宦官の家系といえどかなり名家出身であり、相応の教育も受けていたのでは、と思われます。出身で謗られることが多い曹操ですが、その出身だったからこそしっかりとした教育を受けることができ、その才能を開花させることができたのかもしれませんね。
もしくはその出身のコンプレックスから奮起したのかも……そう思うと努力家としての曹操の一面も見えてきて、とても面白いと思います。
三国志ライター センのひとりごと
個人的な曹操のイメージとしては、悪役でもあり、そして優秀な人物です。決して「曹操は悪役じゃない!」とは思いません。冷酷でもあり、その一方で他人の心を察する、思いやりも持っている人物でもあると思います。
そういったただの一面ではなく、折り重なった「厚み」が曹操の魅力なのではないでしょうか。そんな曹操の一面に触れて頂ければ幸いです。近年では評価が見直されていることもあり、悪役以外の曹操、もっともっと見てみたいですね。
参考文献:魏書武帝紀 后妃伝
二李臧文呂許典二龐閻伝
曹瞞伝
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