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借金は返すモノという意識が浸透し高信頼社会へ
借りている人間からすると、借金が帳消しにされる徳政令は歓迎されるものでした。ところが、徳政で痛めつけられた貸主は、リスク回避の為に融資を厳格にして、貸し渋るようになり不利益は巡り巡って借り手に戻ってきたのです。
それを受けて、江戸時代の人々の中に徳政を嫌悪し借金は必ず返すという観念が根付くようになります。この概念は、260年の江戸の泰平の中で醸成され、日本の高信頼社会に結びつき、明治以後の資本主義の導入、急速な近代化の原動力になるのです。
もし、人々の意識が変化せず、徳政令が権力者が庶民の歓心を買う道具であり続けたら、日本では信頼に基づく金銭の貸借が根付かず、お金の流れは滞り、現在のような近代化は達成できなかったかも知れません。
戦国時代ライターkawausoの独り言
銀行や消費者金融は、どんな時代でも嫌われ、悪役になるのですが、彼らの有用性を700年も前に見抜き、法律で保護して発展させようとした人がいました。
それが室町幕府を樹立した足利尊氏で、彼は建武式目で、「莫大な税金を課せられ、あるいは罪に問われ捕らえられ訴訟に多額の費用が掛かれば、生活の資金はたちまち底を尽き貧乏の極致に落ちてしまう。急いで土倉や無尽を保護して、急な出費に備えさせれば多くの人は助かるだろう」このような事を記して金融業の保護を打ち出しています。
もっともこれは、尊氏ではなく、実務に優れた実弟の直義が書いたとも言われますが、いずれにせよ、鎌倉末には金融業が身近で、生活に欠かせないものになった事を示していますね。
参考文献:徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか (講談社現代新書)
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