【麒麟がくる】望月東庵はどこからお金を借りていたの?

2020年4月1日


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望月東庵はどこからお金を借りた(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



借金は返すモノという意識が浸透し高信頼社会へ

まだ漢王朝で消耗しているの? お金と札

 

借りている人間からすると、借金が帳消しにされる徳政令は歓迎されるものでした。ところが、徳政で痛めつけられた貸主は、リスク回避の為に融資を厳格にして、貸し渋るようになり不利益は巡り巡って借り手に戻ってきたのです。

 

それを受けて、江戸時代の人々の中に徳政を嫌悪し借金は必ず返すという観念が根付くようになります。この概念は、260年の江戸の泰平の中で醸成(じょうせい)され、日本の高信頼社会に結びつき、明治以後の資本主義の導入、急速な近代化の原動力になるのです。

 

もし、人々の意識が変化せず、徳政令が権力者が庶民の歓心を買う道具であり続けたら、日本では信頼に基づく金銭の貸借が根付かず、お金の流れは滞り、現在のような近代化は達成できなかったかも知れません。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

銀行や消費者金融は、どんな時代でも嫌われ、悪役になるのですが、彼らの有用性を700年も前に見抜き、法律で保護して発展させようとした人がいました。

 

それが室町幕府を樹立した足利尊氏(あしかがたかうじ)で、彼は建武式目(けんむしきもく)で、「莫大な税金を課せられ、あるいは罪に問われ捕らえられ訴訟に多額の費用が掛かれば、生活の資金はたちまち底を尽き貧乏の極致に落ちてしまう。急いで土倉や無尽を保護して、急な出費に備えさせれば多くの人は助かるだろう」このような事を記して金融業の保護を打ち出しています。

 

もっともこれは、尊氏ではなく、実務に優れた実弟の直義(ただよし)が書いたとも言われますが、いずれにせよ、鎌倉末には金融業が身近で、生活に欠かせないものになった事を示していますね。

 

参考文献:徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか (講談社現代新書)

 

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はじめての戦国時代

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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