なぜ戦国大名は上洛したがるのか?上洛のメリットも分かりやすく解説


 

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戦国時代のドラマなどでお馴染みのキーワード上洛(じょうらく)。どういうわけか戦国大名は、猫も杓子(しゃくし)も上洛をしたがるように見えます。でも、どうして戦国大名は上洛したがるのでしょうか?そもそも上洛して何の得があるの?上洛を望まない戦国大名がいたの?

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

今回の「はじめての三国志」では、みんな大好き上洛の真実について分かりやすく語ります。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも上洛とはどういう意味

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

上洛とは簡単に言うと、地方から天皇のいる日本の中心京都に上る事を意味します。

 

あれ?それなら上京でもよくね?と思うでしょうが、実は上洛の洛とは(とう
)
の時代の中国の中心都市だった洛陽(らくよう)の事なのです。つまり、平安京(へいあんきょう
)
を唐の洛陽に見立てて風流を気取ったのが上洛の語源なんですね。

 

びっくり事実!室町時代には大名はほとんど上洛していた

藤原京(地図)

 

時代は下って室町時代、幕府が京都の室町に開かれると、足利将軍はほとんどの守護大名に上洛を命じ京都に駐在する事を義務にしていました。これは地方に守護大名(しゅごだいみょう
)
をおいておくと、守護同士で結託して、幕府に反旗を翻すのを阻止する為と、謀反(むほん)を討伐する時に京都に守護大名がいると動員を掛けやすいという意味があります。

足軽a-モブ

 

こうして守護大名は、領地と京都を往復する不自由を強いられ、次第に自分が上洛する間に、領国の運営を任す守護代を個人的に選任するようになります。ともあれ、室町時代には大抵の守護大名は上洛し、足利将軍の近くに仕えていたのです。

 

はじめての戦国時代

 

応仁の乱で守護大名は京都から去る

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

しかし、1467年に勃発した応仁の乱(おうにんのらん
)
で事態は一変します。東軍と西軍に分かれて戦った守護大名ですが、戦いは11年の長期戦になり京都は焼け野原。おろおろするだけで混乱を収拾できない足利将軍の権威は著しく低下したのです。

 

すると、応仁の乱とは無関係に、よその守護大名の領地を奪おうというドロボー守護大名が出現します。

畠山義就

 

「ヒャッハー!今は弱肉強食の時代だぜ、取られるやつが間抜けなんだよぉ」

 

このようなヒャッハー守護大名が頻発したばかりか、守護大名が領国経営を任せた守護代にも国人領主と組んで主の領地を私物化する動きを見せる不届きものが出てくる始末。

 

「じょ、冗談じゃない!京都などにいられる時か、国に帰るぞ」

細川勝元

 

こうして、室町将軍が課した在京の義務を無視して領地に帰る守護大名が続出し、京都からは守護大名がほとんど消えてしまったのです。

 

明応の政変で将軍は無力化

細川政元

 

一方で、守護大名が消えた京都では、三管領(さんかんれい)の氏族である山城国守護畠山政長(はたけやままさなが)、尾張国守護斯波義寛(しばよしひろ)等が残留し足利将軍主導で、幕府秩序の回復を図ります。

しかし、将軍主導で近江や河内遠征の途中、留守にしていた京都で、管領、細川政元(ほそかわ まさもと
)
がクーデターを引き起こし畠山政長(はたけやま まさなが
)
は敗死、斯波義寛(しばよしひろ)は越前回復の夢を絶たれて政元に屈服、将軍足利義稙(あしかがよしたね)は政元に幽閉され、新たな将軍足利義澄(あしかがよしずみ)が政元主導で擁立されます。さらに将軍の軍事力であった奉公衆も解体されました。

襲撃計画を立て悪い顔をしている細川晴元

 

これにより、将軍の軍事力はほぼゼロになり、天皇同様に庇護(ひご)される駒の存在に落ちぶれてしまうのです。

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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