最近、鄴の兵糧問題を一気に解決した事でにわかに株が上った王翦。
そんな王翦と言えば表情が読めず、秘密主義で突拍子もない事をするというイメージですよね?でも、史実の王翦とは性格が似てなく、kawauso的には?と思っていましたが、最近、キングダムの王翦のモデルらしき人物を発見しました。
それは誰あろう、中国人ではなく日本の戦国武将、朝倉宗滴だったのです。
この記事の目次
王翦のモデル・朝倉宗滴とは?
朝倉宗滴は諱を教景といい、戦国時代の越前国、現在の福井県に生まれました。宗滴の父の朝倉孝景は、応仁の乱前後に頭角を現わし、主家である斯波家を下克上して、越前一国を乗っ取り、天下大悪党の張本人と名指しで罵倒された戦上手でした。
宗滴は、そんな孝景の八男として生まれ嫡男待遇で処遇されましたが、宗滴4歳の頃に孝景が病死したので、朝倉家の家督は兄の氏景が継ぐ事になります。
しかし、野心高い宗滴は成長すると越前一国の支配者となる事を目論んで、朝倉孝景の甥で敦賀郡司職の朝倉景豊や朝倉元景と手を組んで、主家の朝倉貞景に対しクーデターを計画します。
土壇場で寝返る
ところが、思ったより朝倉貞景の支配は盤石で朝倉一門の動揺がなく、裏切りも期待できない事から、朝倉宗滴は土壇場で景豊を裏切り実家を棄てて出家。朝倉貞景に面会して景豊のクーデター計画を密告します。これにより貞景は先手を打って敦賀城の景豊を討ち権力を盤石にしました。
寝返った宗滴は、その功績で景豊の代わりに敦賀郡司となり、軍奉行として朝倉家の軍事を取り仕切り、戦勝を繰り返す事で朝倉家の事実上の当主になっていきます。
これは、キングダムの王翦の、実は王位を狙っているという設定とかぶります。キングダムの王翦も、どこかで秦王政に取って代わろうと考えて失敗し朝倉宗滴のように軍事を握る事で秦の重鎮になるというように、シフトチェンジするのではないかと思います。
王翦同様の秘密主義
朝倉宗滴は、王翦同様に無駄口を一切叩かない人物でした。それ以上に何を考えているのか、全くわからない人でもあります。彼の言行録である朝倉宗滴話記にも以下のようにあります。
ここ一番の合戦の時、あるいは難儀な退却戦の時に、大将の心の内を知ろうと部下は色々に探りを入れてくるものだ。少しも弱気な様子を見せず、言葉にも出してはならない。心して油断なきようにすべきである。
これは、キングダムの王翦にそのまま当てはまるでしょう。
王翦は、鄴を落とす秘策も、兵糧が立たれた鄴を救う術も一部の人間以外には喋っていません。特に兵糧を斉から購入するという奇策は、おそらく桓騎も秦王政も知らず、昌文君と王翦の二人だけの極秘事項でした。
序盤から中盤に掛けて、王翦にブーブー文句を言っていた信や河了貂ですが、結局は何だかんだ言いながら王翦を信用するようになりましたしね。
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