【サムライの祖】滝口武士は手のつけられない凶戦士ってホント?

2020年5月2日


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滝口武士は手のつけられない凶戦士(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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皇族女子にウヒョしてしまった滝口武士

小野小町

 

それでも、退役してから賊になるものはまだマシで、中には滝口武士のままで不道徳な振る舞いに及ぶ者もいました。

 

寛和2年(986年)6月、伊勢斎宮(いせさいぐう)になって1年間、京の郊外に設けた仮住まいの野宮で潔斎(けっさい)していた済子(なりこ)女王と滝口武士、平致光(たいらのむねみつ)が密通した事件が日本紀略、本朝世紀に記録されています。

 

もっとも身を清めないといけない時期の皇族の子女を欲望のままに平気で犯すというインモラルさが当時の武士の野蛮さを物語りますが、それでも滝口武士なしには、平安京の治安を守れないのが朝廷の実情でした。

 

御所を武装して守り遂に北面の武士へ

源義経 鎌倉時代

 

モラルの無い野蛮人という悪評を受けつつも、平安京において武士は急速に受容されていきます。円融天皇(えんゆうてんのう)の貞元2年(977年)11月、滝口武士に弓矢を帯びて内裏に出入りしてもよいという特例が認められます。

 

本来内裏には、近衛府の武官と特別に帯剣を許可された者以外は武器の持ち込みが禁止されましたが、その慣例を破るものでした。さらに、寛和3年(987年)3月には、無人の朱雀院(すざくいん)を武装した武者十人が守るように命令が出されました。

細川勝元

 

この朱雀院とは、退位した天皇が隠居する邸宅の事ですが、武者十人と書かれている事に注意して下さい。この頃には天皇も上皇も武士を滝口に任命する事なく、正統な理由さえあれば、随意(ずいい)に身辺を警備させる為に動員できるようにしていき律令制が形骸化、武士は天皇や貴族に仕える私兵のような存在になっていきます。

 

それにより、従来は平安京の治安を担っていた衛府も検非違使も歴史的な使命を終え、京都は、武士によって治安が維持される社会に変貌していきました。この後、応徳3年(1086年)白河天皇が堀河天皇に譲位し上皇として院政を開始します。

 

足軽a-モブ(兵士)

 

かくして、無人だった朱雀院は上皇の住まう場所になり、権力は二重構造化、同じく内裏の天皇と利害が衝突していく事になります。天皇と上皇、どちらも武士を軍事力として動員できたわけですから、結局はこれが保元の乱の切っ掛けになり、平氏や源氏がその武力で日本を掌握していくタネがここに撒かれました。

 

平安時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

西暦889年に、宇多天皇により東国の群盗討伐の為に招集された関東の武人は滝口武士の名前で律令制に組み込まれ、初めて中央に登場するチャンスを掴みました。

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

非常な強さを持ちつつ、野蛮人で乱暴者として恐れられた武士は、以後270年の間に平安京の治安維持に欠かせぬ存在になり遂には武装したまま、天皇や上皇の御所を守る地位を手に入れ、保元の乱を契機に貴族を追い落とし、歴史の主役の地位を獲得するのです。

 

参考文献:「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都 文春新書

 

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はじめての戦国時代

 

 

 

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