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この記事の目次
サムライはどんな時も死と隣り合わせ
天徳寺はサムライの行動は、常に死と隣り合わせであると断じます。
一刻、一瞬にも命がかかっているサムライの決断は、いつも悲壮で哀れであり、それを理解できる人間は、過去の武士の一つ、一つの行動に隠れた深い哀しみが身に染みて、しみじみ泣けてくるものだと言うのです。
それが分からず、表面上の勇壮な振る舞いしか見えないようでは、常に身を死地におく覚悟が出来ていない、血気と勢いだけに頼る蛮勇のみのサムライで、とても命を預ける事は出来ないと考えたのでした。
言うに言えない心を汲むのがサムライの優しさである
私達は、何らかの悩みを抱えた時、それを他人に相談できるとは限りません。自分のプライドや葛藤や、あるいは他人に話しても無駄だという思いから、本当は人の助けが欲しいのに、どうしても言えないという時があるのは、誰でも思い当たるでしょう。
その時、言ってくれればいいのに、というのでは助けてあげるのは困難です。ここに、サムライの考えた優しさが強い意味を持つ理由があります。どうせこいつ悩みなんかないんだろうな、、、と切り捨てるのではなく、人間はどんな人間でも、生きていく上でなんらかの悩みを抱えているんだと考えられれば、些細な事にまで気をつけて行動を見てあげる事が出来るでしょう。
いわんや、部下を持つ人や生徒を持つ人なら、言ってくれれば相談にのるよではなく、人は本質的に悲しいものだ、悩むものだという心で、苦しくても言う事が出来ない辛さを知る事が出来る感受性が求められるのです。
ほのぼの日本史ライターkawausoの独り言
本当に強いサムライとは、強く、礼儀正しく、誠実であるだけではなく、サムライとは常に死と隣り合わせの哀れなものだという無限の同情を持ち、その繊細な心の襞を見て、言うに言われぬ悲しみを見抜く、高い感受性を持つ者の事でした。
今で言えば、部下に生徒に周囲の人々に同じ人間として深い哀しみと同情を持つ事、それがサムライが大事にした優しさだったのです。
参考文献:本当の武士道とは何か?日本人の理想と倫理 PHP新書