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この記事の目次
バトル5:赤壁の戦い!直接対決はなし
西暦208年の赤壁の戦いでは、劉備は呉の周瑜の軍勢にくっついていただけで、直接、曹操と戦い、勝利したような描写は見られません。曹操軍に勝利したと言うなら勝ち星1ですが、あくまでも曹操に勝利していないので△としてカウントします。
バトル6:陽平関の戦いで曹操に初勝利!
西暦218年、ここまで曹操に連戦連敗してきた劉備が、夏侯淵の弔い合戦で長安から、遥々やってきた曹操に初めて勝利します。しかし、この時の戦いは、これまでの野戦とは異なり、劉備は陽平関に閉じこもって出て来ず、曹操が物資を消耗して退却を決意する事になります。終始自信満々の劉備でしたが、地形の険阻さを活用できた自信からのようですね。
翌々年の正月に曹操は死んでしまうので、劉備は最後に曹操に勝利したという形で自身の戦歴を飾る事が出来ました。
劉備の曹操怖い病も立派な兵法
バトル2から、曹操相手にはひたすら逃げまくるという情けない戦法に終始した劉備ですが、これはある意味で究極の兵法を実践しているとも言えます。それは、兵法三十六計の「走為上」、つまり逃げるより上はないというもので、どんな計略を仕掛けても相手が逃げ続ければどうしようもないという事です。
もし、劉備に負けん気があり、勝てないにしても曹操に一矢報いてやろうと考えてしまえば、曹操から逃げる時間を大幅に損ねる事になり、どこかで捕まるという失態を侵したかも知れません。
その場合、曹操はまず許さないと考えられ、そこで劉備の人生はジ・エンドです。しかし、劉備は普通にやったら曹操に勝てないというリアルな感覚を終始捨てないでいたので、毎回逃げる事に成功していたのです。
三国志ライターkawausoの独り言
自分が勝利できない相手に対して、いかに対応するかは三国志のような時代では、かなり重要な生き残りスキルです。ここは慎重にも慎重にいかないと勝てるつもりが技量が足りないとなれば、身の程知らずで終わってしまいますからね。
参考:正史三国志
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