広告

【麒麟がくる】本能寺の変はカットの可能性あり?その理由とは?


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

敵は本能寺にあり!と叫ぶ明智光秀

 

NHK大河ドラマ麒麟(きりん)がくる、5月17日の放送からは新章「越前編」(えちぜんへん)が始まりました。長良川の戦いで斎藤道三(さいとうどうさん)が息子の高政(たかまさ)に敗北した結果、道三についていた明智家も攻撃対象となり、十兵衛は一門を連れて越前へと落ちて行ったのです。

 

しかし、そんな麒麟がくる、もしかしたらラストの本能寺の変がカットされるかも知れません。それは、一体、どういう事なのでしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



麒麟がくるは全44回で尺が足りない

明智光秀(麒麟がくる)

 

大河ドラマ麒麟がくるは、2020年の東京五輪中継が夏に入った事により、当初から通常のNHK大河よりも回数が少なく44回しかありません。つまり物理的に少ない回数で明智光秀の一生を追わないといけないわけです。さらに、今回の麒麟がくるは、謎に包まれた明智光秀の前半生を克明に描いた美濃編で17回も話数を費やしています。

安土城 織田信長が作らせた城

 

つまり、残り27回で織田信長の上洛から光秀との再会、織田家の家臣になった明智光秀が比叡山(ひえいざんやきうち)焼き討ちで頭角を現わし近江坂本に居城を構え、さらに丹波を苦闘の末に陥落させて、34万石の大名になり、四国平定の調略を任されるも信長の気まぐれで、上手く行かなくなり、ライバル羽柴秀吉(はしばひでよし)に信長の信任を奪われ本能寺の変に到るまでを描き切らないといけません。

忙しくて過労で倒れる明智光秀

 

すでに、織田信長の家臣になっているならまだしも、現状の光秀は朝倉義景の居候のような扱い、まだしばらく不遇が続きますから、なんだかんだで足利義昭を織田信長に出会わせるまでに、残り4回はかかりそうです。そうなれば、織田家の家臣になる頃には22回で、完全な折り返しポイントです。いくらなんでも、たった22回で重厚な明智光秀の人生の後半を描けるでしょうか?

 

麒麟がくるは倒叙法のドラマ

内容に納得がいかないkawauso様

 

麒麟がくるのオープニング、冒頭は明智光秀のアップで始まります。あのシーンは光秀が主君である織田信長を討つ事を決意したシーンだと推測できます。どうして、ドラマの冒頭が光秀の破滅を暗示するシーンなのか?

 

kawausoは色々考えてみましたが、今回の大河ドラマは倒叙法(とうじょほう)の方式を取っているからだと思われます。

テレビを視聴するkawauso編集長

 

つまり、NHK大河ドラマを視聴するような人は、99%明智光秀が最期に本能寺で織田信長を討つという衝撃のラストを知っています。だから、淡々と光秀の青年期から本能寺までを撮影しても当たり前すぎて面白くなりません。なのでドラマは最初から、どうして光秀が織田信長を討つ事になるのかに焦点を当てて撮影されていて、光秀が信長を討つ動機が明らかにされた時に終わると思うのです。

明智軍記_明智光秀_書類

 

何故なら、麒麟がくるは本能寺の変に到る光秀の動機を描くドラマであり、それさえ描ききれば、結果の知れた本能寺の変など、おまけになるからです。

 

麒麟がくる

 

序盤から繰り返される二人の性格描写

ちょっとしたことでブチ切れる織田信長

 

麒麟がくるの特徴は、登場人物の性格描写の細かさです。例えば、染谷将太(そめたにしょうた)演じる織田信長は極端に人の心が分からない人物として描かれています。全てを額面通りに受け取り相手を善意で見て追い詰め、裏切られたと知るや猛然と復讐する敵か味方かしか認めない人です。一方の光秀は、やや生真面目な部分があるものの、人の気持ちを忖度(そんたく)し過ぎてしまい相手に振り回されてしまうという、信長の逆タイプになっています。

お茶を楽しむ明智光秀

 

もちろん、光秀はよい人であると同時に、頭も鋭いのでいつまでも振り回されはしません。つまり、信長と光秀は光秀が信長を許容できる限りは上手く行きますが、許容できなくなった時に決定的な決裂に至る時限爆弾の関係なのです。

 

光秀の爆弾は武士の誇りと天下静謐

織田信長に恨みを持つ明智光秀

 

では、明智光秀がどうしても許容できない心の時限爆弾はなんでしょうか?

 

これは、亡父明智光綱の言った誇りを失っては武士ではないという誇りと、麒麟を連れてくるのに必要な天下静謐、つまり平和を願う心です。2つが踏みにじられた時に光秀は爆発し、命を賭しても己を貫こうとするでしょう。では、いつ?光秀の時限爆弾を信長は押してしまうのでしょうか?

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-戦国時代 (日本)
-