織田信長は、生涯に3度、或いはそれ以上、狙撃されていてその度にかすり傷しかおわなかったという強運の持ち主でした。そんな信長の嬉し恥ずかし初狙撃は永禄2年(1559年)上洛して将軍足利義輝に謁見した帰途に起きました。
その信長暗殺の危機を救ったのが清須の丹羽兵蔵という男だったのです。でも、この信長暗殺、なんか超ほのぼのしているんで御覧下さい。
丹羽兵蔵怪しい一行に出会う
永禄2年、織田信長は急に上洛すると言い出し、随行者80名を引き連れて上洛、京都、奈良、堺を下見、ゲフン、、観光して将軍足利義輝に謁見して数日京都に滞在しました。信長の一行は数こそ少ないものの、金銀飾りの太刀を佩いて誇らしげな様子だったようです。
そんな時、信長一行とは別ルートで京都に向かう人影がありました。清須城の那古野弥五郎の家来で丹羽兵蔵という人物です。この兵蔵が京都に上る途中、志那の渡しで人品卑しからぬ6名の武士とお供の総勢30名ほどの一行に出くわします。
一行は兵蔵にどこの国の者か?と尋ねるので兵蔵は偽って三河国の者と答え、途中尾張を通り抜けて来たというと、一行の1人が上総介の命も長くあるまいとつぶやきました。あからさまに怪しく、なんとなく人目を避けている風なので兵蔵は怪しいと睨み、一行が泊まった宿の近くに宿を取りました。
童の口から一行の正体判明
さて、いかにも怪しいと思った兵蔵は、一行の中にいた童を手懐けて仲良くなると、
「お前達は湯治にでもいくのか?」と一行の目的をそれとなく聞き出します。
すると、童は兵蔵が三河の人と言ったのを真に受けて安心し
「いえ、湯治ではありませぬ、美濃の国から大事な用をいいつけられて上総介殿を討ち取る為に上洛するのです」とあっさり目的をゲロ(笑)
さらに、童は一行の名前まで、小池吉内、平美作、近松頼母、宮川八衛門、野木次左衛門、その他とすっかりしゃべりました。
※なんで子供が暗殺者集団に?と思いますが元服前の人は皆、童なので人によっては15歳で童って事もあります。
そこで兵蔵、一行の宿の傍までいき、供に紛れてそれとなく聞き耳を立ててみると、、将軍の御決心さえついて、その宿の者に命令して下されば、信長を鉄砲で撃つのに何の面倒もあるまい、うんぬんと好き放題しゃべっています。
兵蔵、信長へ暗殺計画をご注進
これは一大事と確信した兵蔵は、翌朝早く宿を飛び出し、一行より早く京都に入ると、暗殺者一行が京都に入るのを待ち構えます。夜になると一行も京都に入り、二条蛸薬師の近くに宿を取りました。
兵蔵は一行が宿泊した宿の左右の門柱を刀で削って目印にすると、今度は信長の宿を探しはじめ、それは上京室町通りの裏辻という場所にある事が判明します。兵蔵が信長の宿を探して門を叩くと、番の者が出て来たので
「一大事で御座る、至急、金森殿か蜂屋殿にお目にかかりたい」と報告します。やがて、二人がやってきたので、兵蔵は暗殺者の顛末を全て話して聞かせました。二人が信長にその事を報告すると、信長は兵蔵を召し寄せて「連中の宿を見極めておいたか?」と尋ねます。
すると兵蔵は
「柱の左右を刀で削り目印にしたので間違いありません。一つの宿に全員が入っています」と即答しました。
なんでしょうね、暗殺者一行の間抜けぶりと対照的な兵蔵の有能ぶりは・・
織田信長暗殺団に一喝
さて、信長は元々美濃衆の金森長近に、その暗殺者の一団、お前の顔見知りというなら、これから兵蔵を引き連れて挨拶に行ってはどうだと提案します。それで長近は兵蔵をつれて、暗殺者一行の泊まる宿の裏手に回ってすっと入ると、
「お久しぶり長近です。ところで皆さんが上洛しているのは信長様にバレているので暗殺は出来ませんよ。観念してご挨拶に行きなさい」
と洗いざらい暴露したので、暗殺者一行は仰天して声も出ません。翌日、暗殺者一行は小川表に行き、そこに信長も移動して対面し説教を喰らいます。
「お前達は、この上総介を暗殺するために上洛したとしたと聞いたぞ。未熟者の分際で信長を付け狙うとは、蟷螂の鎌で馬車に挑むようなものだ。さあ、信長を討つというなら、今からでもやってみよ!さあ、どうだ!」
こんな風に信長に脅し付けられ、暗殺者一行は進退に窮したそうです。
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