司馬師ってめちゃくちゃ天才だったのでは?三国時代を終わらせた司馬師の「地味な天才っぷり」をまとめてみた

2020年5月24日


 

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司馬昭と司馬師

 

かの司馬懿(しばい)の息子、司馬師(しばし)。この人が出てくる頃には、劉備(りゅうび)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)も、諸葛亮(しょかつりょう)も亡くなった後の時代になっているため、この人の印象はとても薄いままにとどまっているのではないでしょうか。

 

目玉が飛び出て亡くなる司馬師

 

せいぜい「手術の傷跡から目玉が飛び出して死んだ」という壮絶な最期の逸話ばかりが、印象に残ってしまっているのではないでしょうか。そんなわけで、各メディアでの司馬師といえば、「司馬懿が亡くなってから(しん)王朝成立までの中継ぎの地味な武将」くらいの扱われ方になってしまっています。

晋の司馬師は玉座に座る

 

ところが、この司馬師、整理してみると実はかなり超人的な活躍を短期間に繰り出しているのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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父親の司馬懿から最高レベルの教育をたっぷり受けていた青年期!

司馬師と司馬懿

 

そもそも()王朝が弱体化し、司馬一族が権力を握ることになったきっかけの事件、「司馬懿のクーデター」の中で、司馬師とその弟の司馬昭(しばしょう)は、既にテキパキと手際よさを見せ、父をサポートしています。クーデターで倒された曹爽(そうそう)側も、「司馬懿にしてやられた!」というよりは、「司馬懿と二人の息子にしてやられた!」と感じているフシがある。

 

司馬懿、司馬師、司馬昭

 

この頃には既にこの「親子三人」は、セットで周囲から警戒され、恐れられていたのではないでしょうか?

司馬懿と司馬師

 

どうやら、かの司馬懿自身が、早い段階から司馬師と司馬昭という二人の息子には大変な期待をかけ、常に戦場や政治の場に連れて行って経験を積ませていた様子があります。

 

司馬懿

 

諸葛亮亡き後にはほとんど最強クラスの存在となっていた司馬懿に、四六時中、手取り足取り政治のノウハウを叩き込まれていたのだから、この二人の息子は武将としてはまさに最高の教育を受けていたとも言えるのではないでしょうか?

 

司馬懿の墓

 

ましてその司馬懿が、一世一代の大芝居を打って出たクーデターに、最初から最後まで参加させてもらっているのですから、これは駆け出しの政治家としては大変に幸運な経験です。計略や策謀(さくぼう)についても司馬懿の薫陶(くんとう)をとことん受けた、サラブレッドと言えるのではないでしょうか?

 

司馬師の見事な必勝パターン「知らぬ前に敵勢力を分断し各個撃破」

司馬師

 

司馬懿亡き後の司馬師は、以下のような業績を積んでいます。

毌丘倹(かんきゅうけん)の反乱を鎮圧

曹芳(そう ほう)張緝(ちょう しゅう
)
李豊(り ほう)夏侯玄(かこう げん
)
のクーデターを未然に察知し鎮圧

諸葛誕(しょかつ たん
)
の反乱に素早く対応

 

李豊を蹴る司馬師

 

とても地味に見えるこれらの事績ですが、自分の存命中に発生した大反乱は、どれも着実に、手際よくつぶしてしまっているということになります。問題はそれだけではありません。上記の反乱者たちには、司馬一族の専横に対する怒りと疑心暗鬼から反乱に踏み切ったという共通点があります。

 

進軍する兵士c(モブ用)

 

当然、出てくる疑問があります。「そうやって個別に反乱決起ではなく、彼らが結託して、しめしあわせて一斉蜂起していたら、さしもの司馬一族も絶体絶命だったのでは?」と。

敵将の頭蓋骨を盃がわりにして酒を飲む織田信長

 

実はこういう事例は歴史に多くあります。織田信長(おだのぶなが)が、反信長包囲網を、ひとつずつ切り崩して各個撃破したように。明治政府が、佐賀の乱(さがのらん
)
萩の乱(はぎのらん
)
西南戦争(せいなんせんそう
)
を、ひとつずつ切り離して冷静に各個撃破したように。

匠に兵士を操る夏侯楙

 

敵対勢力を結託させないように工作しつつ、決起した順番に着実につぶしていくのは、実は歴史上の英雄たちの高度な必勝パターンなのです。これを着実に実行しているという点でも、司馬師は並外れたセンスの持ち主だったのではないかと推測できるのです。

三国志を統一した司馬炎

 

このような手際のよい人物が一線に立っていたからこそ、後代の司馬炎(しばえん)が、安泰(あんたい)な晋王朝の門出を迎えることができた、といえるのではないでしょうか?

 

まとめ:ぜひとも諸葛亮や関羽・張飛と対決してほしかった!

舌戦で煽るのがうまい諸葛亮孔明

 

しかしこのような細かい実績をいくら強調しても、「諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)や、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)コンビが生きている時代だったら、どこまでやれただろうか?」と比較されてしまうのが、三国時代の後発世代の、不遇なところ。

 

三国志ライター YASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

司馬懿の血を引き、その教育を徹底的に受け、厳しい反乱を次々に制圧して経験を積んだ司馬師。彼ならば、ひょっとしたら、諸葛亮孔明や関羽・張飛コンビが生きている時代にタイムトラベルしても、かなり互角の戦いができるのではないでしょうか?

 

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ながら三国志

 

 

 

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とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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