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この記事の目次
二正面作戦に勝利した曹操
袁紹というと、大軍で官渡城を囲むだけの横綱相撲で呑気している間に、許攸が曹操軍に投降してしまい、烏巣の食糧庫を焼かれて負けるという融通の利かない大将に見えがちですが、それは正しくなく、劉備を仲介して背後から曹操を圧迫している辺りは謀略家としても、なかなかなセンスを感じさせます。
ただ、曹操はそれを上回る戦略家であり官渡の包囲を堪えつつ、豫洲南部の動乱を抑えて、二正面作戦を終わらせ、その後に烏巣奇襲で前面の戦いでも勝利する離れ業をやってのけたわけです。
曹操が官渡の仕上げに破ったのは劉備
官渡の戦いの最期は、実は烏巣の戦いの勝利で終わりではありません。袁紹の退却を見届けた曹操は、まだ豫洲の南で賊の龔都と手勢数千人でウダウダしている劉備を自ら攻撃して撃破し、劉備は荊州に逃げてしまうのです。
曹操の中では、自分を悩ませた劉備に自ら手を下そうという決意があったのではないかと考えられ、劉備を豫洲から追い払った事を以て官渡の戦いは終わりと言えるのです。
三国志ライターkawausoの独り言
極端な話をすると、曹操は北で袁紹、南で劉備と官渡決戦を戦っていたと言えます。南の戦いは、十数万の大軍が動いていたわけではありませんが、劉備の扇動で、次々と寝返る県城を鎮圧する戦いはちくちくした地道なもので、荀彧や夏侯惇や曹仁を消耗させたでしょうね。
参考文献:正史三国志
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