官渡決戦の主戦場は官渡だけではなかった!




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曹操にコテンパにされる袁紹

 

曹操(そうそう)袁紹(えんしょう)の天下分け目の一大決戦が官渡決戦(かんとけっせん)です。

官渡の戦い 騎馬兵

 

この戦いで北方の雄、袁紹が敗れた事で曹操の優位は(くつがえ)らなくなり三国における魏の優越が確定されました。その意味で赤壁(せきへき)の戦いより重要度は遥かに高くなります。しかし、官渡決戦の主戦場、実は官渡だけではなかったのです。




荀彧、夏侯惇、曹仁を伴わない官渡決戦

赤鎧を身に着けた曹操

 

常識的に考えると、白馬(はくば)延津(えんしん)の戦いで袁紹軍を撃破して前哨戦を勝利した曹操軍が、官渡城を袁紹軍に包囲された状態こそが曹操最大のピンチであり、官渡決戦の山場であるように見えます。

 

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しかし、皆さんよく考えて下さい。

曹操と夏侯惇

 

そんな自分の運命を決める戦いなのに、曹操は荀彧(じゅんいく)夏侯惇(かこうとん)曹仁(そうじん)のような名将を官渡城に伴っていません。有名な荀彧に撤退したいと泣き言を書いたメールは伝令によって官渡から許に送られたものです。こんな重臣3名を置き去りにして曹操は官渡の戦いは余裕の曹ちゃんで戦っていたのでしょうか?

荀彧に手紙を書く曹操

 

いえ、そうではありません。後方に、荀彧、夏侯惇、曹仁を置いておいたのは官渡以外にも撃破すべき敵が後方にいたからです。




曹操の足元で動乱発生!

幕末 魏呉蜀 書物

 

何夔伝(かきでん)を補う魏書によると曹操の危機は表の袁紹だけではなく、足元の豫洲(よしゅう)でも起きていた事が明らかになります。そこで曹操は、陳羣(ちんぐん)酇令(さんれい)とし何夔を城父令(じょうほれい)に任命し、それ以外にも皆名士を登用して鎮撫(ちんぶ)し、その後吏民(りみん)は次第に収まったようです。

三国志のモブ 反乱

 

酇も城父も豫洲であり、何夔も陳羣も豫洲人、さらに名士も周辺諸県に配置したという事は、彼らも全部地元の名士と考えられます。つまり、劉備が(そむ)いて豫洲で反曹活動を展開した結果、人民は大いに動揺し、それを抑えるのに曹操は豫洲名士総動員で挑まないといけないという危機的な状態になっていました。しかも、情けない事に、城父も酇も、曹操の故郷である(しょう)県の近くなのです。

 

それは、劉備の扇動工作なのですが、例えば豫洲でも汝南郡(じょなんぐん)は袁家のホームグラウンドなので、元々曹操の支配を喜ばない反曹勢力であったとも考えられます。このような豫洲動乱を重く見たからこそ曹操は右腕とも頼む、荀彧、夏侯惇、曹仁を後方に残して動乱を抑えようとしたのでしょう。曹操には全然余裕というものは無かったのです。

 

覇を競う乱世に新たな秩序を打ち立てた曹操の生涯
曹操孟徳

 

曹操にウザさ倍増の荀彧

鬱になる荀彧

 

このように考えると後方の荀彧もかなり忙しかった事が考えられます。にもかかわらず、前線の曹操は官渡城を引き上げて、袁紹軍をホームグラウンドに誘い込んで撃破しようと思うんだボカァと弱気な手紙を書いて寄こすわけですから、当時の荀彧は相当ウザい思いをしたのではないかと思います。

 

反対する荀彧

 

あの手紙の返信は懇切丁寧で曹操を激励したものなんですが、なんだか、ちょっと怒っているようにも感じるのは、kawausoだけでしょうか?

 

曹仁の活躍で後方の憂い断たれる

曹仁

 

曹操をノイローゼにさせた豫洲以南の動乱を最終的に解消したのは曹仁でした。

 

曹仁は曹操に対し

 

「南方では袁紹の大軍を前に浮足立ち、互いに救おうとはせずに孤立しています。その弱くなった諸県に対して、劉備は強兵で反乱を扇動(せんどう)しているのであり、南方の動乱はもっともな事です。しかし、劉備が新たに率いるのは袁紹の兵で十分に運用出来ているとは言えません攻撃すれば必ず破れます」と進言します。

曹仁

 

曹操はその言葉を聴いて、曹仁に騎兵を率いさせて劉備を敗走させます。その後、曹仁は(そむ)いた県をことごとく収集して帰還しました。さらに、これを受けた袁紹が別将の韓荀(かんじゅん)をやって西道を略奪させて遮断させると、曹仁は出動し、雞洛山(けいらくざん)で韓荀を討って大破しています。さしもの袁紹もこれにこりて豫洲南方に再びは兵を分けて出そうとしなくなり、曹操の危機は回避されたのです。

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