官渡決戦の主戦場は官渡だけではなかった!

2020年6月1日


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官渡決戦の主戦場(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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二正面作戦に勝利した曹操

袁紹

 

袁紹というと、大軍で官渡城を囲むだけの横綱相撲で呑気している間に、許攸が曹操軍に投降してしまい、烏巣の食糧庫を焼かれて負けるという融通の利かない大将に見えがちですが、それは正しくなく、劉備を仲介して背後から曹操を圧迫している辺りは謀略家としても、なかなかなセンスを感じさせます。

魏の曹操孟徳

 

ただ、曹操はそれを上回る戦略家であり官渡の包囲を(こら)えつつ、豫洲南部の動乱を抑えて、二正面作戦を終わらせ、その後に烏巣奇襲で前面の戦いでも勝利する離れ業をやってのけたわけです。

 



曹操が官渡の仕上げに破ったのは劉備

曹操から逃げ回る劉備

 

官渡の戦いの最期は、実は烏巣(うそう)の戦いの勝利で終わりではありません。袁紹の退却を見届けた曹操は、まだ豫洲の南で賊の龔都(きょうと)と手勢数千人でウダウダしている劉備を自ら攻撃して撃破し、劉備は荊州に逃げてしまうのです。

 

曹操

 

曹操の中では、自分を悩ませた劉備に自ら手を下そうという決意があったのではないかと考えられ、劉備を豫洲から追い払った事を以て官渡の戦いは終わりと言えるのです。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

極端な話をすると、曹操は北で袁紹、南で劉備と官渡決戦を戦っていたと言えます。南の戦いは、十数万の大軍が動いていたわけではありませんが、劉備の扇動で、次々と寝返る県城を鎮圧する戦いはちくちくした地道なもので、荀彧や夏侯惇や曹仁を消耗させたでしょうね。

 

参考文献:正史三国志

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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