日本史なんか覚えても実社会では役に立たないかも知れませんが、少なくとも入試には必要です。しかし、大河ドラマや漫画の日本史と入試の日本史は、やはりジャンルが違うので、いざという時に役に立たないかも、そこではじ三では入試に使える日本史と題し、戦国大名について解説してみます。
この記事の目次
日本史B質問1
在京していた守護が任国管理の為に派遣した家臣を何という?
答え:守護代
ポイント:室町幕府は反乱防止と軍事力として活用する為、或いは京都の役職に任じる為に、各地の守護大名に京都在京を命じていました。今風に言うと、日本の平和を守るために京都にいましょう!Stay京都です。
ただ、その結果、守護は領地の経営が出来なくなるので守護の代理として信任する配下を送り込みました。守護の代理だから守護代簡単ですね。
豆知識:守護代は、守護に代わって領国を支配する間に、国人と言われる在地豪族と個人的に結びついて守護の力を凌いでいきます。そして応仁の乱で守護が京都での戦乱で忙殺されている間に、領国を乗っ取ったりしました。著名な守護代には、美濃守護代の斎藤氏、尾張守護代の織田氏、越前守護代の朝倉氏がいます。
日本史B質問2
下克上の風潮に乗じて、守護、守護代、国人らが支配者に成長して各地に割拠した大名を何と言うか?
答え:戦国大名
ポイント:戦国大名とは応仁の乱後、幕府の力に関係なく自力で領国を支配した大名を意味しています。その為、戦国大名の出自は多様で、国人から下克上したものや、守護代から下克上したもの、或いは守護大名が領国の支配力を強めて戦後大名化したケースがあります。
日本史B質問3
下総を拠点とした鎌倉公方と伊豆を拠点とした鎌倉公方をそれぞれ何と言うか?
答え:下総:古河公方 伊豆:堀越公方
ポイント:鎌倉公方とは、相模、武蔵、上野、下野、上総、下総、安房、常陸、伊豆、甲斐の10カ国を支配していた副幕府です。室町幕府は京都にあり、関東への支配力が弱いので監視役として足利尊氏の息子の基氏の子孫が下総の古河に御所を置きました。
では、堀越公方とは何か?これは、面白い事に古河公方の敵なんです。鎌倉公方は元々室町幕府の出先だったのですが、世代を経ると関東の独立勢力のようになり幕府と対立します。
そこで、足利義政は弟の足利政知を新しい鎌倉公方にして送り込むのですが古河公方を追い出す事が出来ず、伊豆の堀越に御所を置き堀越公方になりました。
覚え方:尊氏の子が公方。堀越えられずくぼうする
日本史B質問4
駿河の守護今川氏に寄食し堀越公方を滅ぼし、ついには相模に進出。小田原を拠点とした戦国大名は誰か?
答え:北条早雲(伊勢宗瑞)
ポイント:北条早雲は、従来一介の素浪人と考えられていましたが、現在では室町幕府の名門で政所を管轄していた伊勢氏の出身で伊勢盛時として知られます。宗瑞は号です。元々京都の人であった早雲ですが、姉か妹の北山殿が駿河守護の今川義忠に嫁いでいた縁で、今川家の後継者問題に関わる事になりました。
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