こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
家康の本姓は、源・藤原どっち?
本姓というのは、天皇に与えられた最初の姓で、源とか平とか藤原とか菅原とかが有名です。多くは、ここから分家になっていく中で、本家に遠慮して、土地の名前などを苗字につけるようになりました。得川も松平も本姓から分かれていく中でつけられた苗字です。
この本姓については、家康は終始一貫して源氏で通したと日光東照宮の口宣案などからは読み取れますが、これも家光時代の改変があり事実ではありません。実際には、永禄9年の叙爵では、万里小路家の系図発見の経緯から藤原家康と名乗っていました。
この頃には、源氏である室町将軍の権威が不安定で、官位奏請をするには、今は藤原氏が有利だという政治的な理由だそうです。以後、家康は都合により、藤原姓と源姓を使い分け、征夷大将軍に任じられた頃から源姓で統一するようになりました。征夷大将軍は、鎌倉、室町とそれぞれ源氏の家系が興しているので、藤原では武家の棟梁として格好がつかなかったんでしょうね。
戦国時代ライターkawausoの独り言
元々が、出自も不明な土豪から身を興した徳川家康にとっては、姓も名前もアクセサリーのようなものだったんですね。それで、どうせアクセサリーなら、有効に使おうと開き直ったのかも知れません。
関連記事:今川義元は徳川家康の大恩人?文武両道最強大名の真実
関連記事:【徳川家康の長男】信康を切腹に追い込んだ真犯人は武田?