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この記事の目次
其の五:他藩の5倍も武士がいる軍事国家
島津氏は、徳川時代になっても武士の帰農を勧めず、半農半士状態で大勢の武士を温存しました。これは再び戦国の世がやってきた時に後れを取らない為だったようです。さらに島津氏は領内を113に分けて外城を築き、その周辺に武士が居住する麓と呼ばれる武家屋敷群を築いて、曲がりくねった通路を敷き屋敷には生け垣を巡らし、戦国時代さながらの生活を送らせました。
藩を挙げて常在戦場を貫いた島津氏は、他藩との交流も制限し戦国の気風を保管したまま幕末を迎える事になるのです。世の中がどれだけ文弱に流れようと薩摩藩だけ戦国のままなんですから、そりゃあ暗君の出ようがないでしょう。
戦国時代ライターkawausoの独り言
いかがだったでしょうか?
島津氏は、日本の最果てで中央からの討伐が難しく、琉球を通して海外情報と富を得ていて、優れた血の補完システムを確立し、鎖国して戦国の気風を保ったので結果的に暗君を避け、名君を出す事が出来たのだとkawausoは考えます。
文:kawauso
参考文献:素顔の西郷隆盛 新潮新書
参考文献:歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ 中公新書
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