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この記事の目次
聖徳太子実在を裏付ける史料2
さらに、播磨国風土記という和銅6年から霊亀3年(717年)頃までに成立した文書では、印南郡大国里条に「聖徳王の御世」という表記があります。聖徳太子以外に、聖徳の尊称を与えられた人物は古代にはいない事から、こちらも日本書紀成立以前に厩戸皇子が聖徳王と呼ばれた証拠と呼べるでしょう。
聖徳太子実在を裏付ける史料3
また、法起寺露盤銘という史料には「上宮太子聖徳皇」の語が出てきます。こちらは慶雲3年(706年)の記述があり、やはり日本書紀よりも前になりますが、その露盤銘内容とは以下のようなものです。
聖徳太子は、推古天皇30年(622年)、臨終に際し息子山背大兄王に遺言して、岡本宮を寺に改められることを命じ、10数年後の舒明天皇10年(638年)に福亮僧正なる人物により、弥勒仏を本尊とする金堂の建立が始まった。
しかし塔は色々あって事業が進まず、ようやく天武天皇13年(684年)に恵施僧正によって起工、慶雲3年(706年)に至って完成した。
このようにあり、完成まで80年も掛かっています。
ただ、こちらの三重の塔は鎌倉時代の記録である顕真の『聖徳太子伝私記』に引用されている「法起寺三重塔露盤銘」という史料がよりどころであり実物は出てきていない事から後世の偽物という説がありました。
しかし、日本古代史が専門の歴史学者、直木考次郎氏が万葉集や飛鳥平城京出土木簡での用例を検討した結果、露盤銘の全文について「筆写上の誤りを含めて疑問点はあるであろうが聖徳皇は鎌倉時代の偽作ではない」と結論づけています。
つまり、露盤銘は写し継がれたものであり、後世のでっち上げではないというのです。
結論 厩戸皇子は偉大な人物である
以上から考えると、厩戸皇子は実在するが大した人物ではなく、聖徳太子は藤原不比等が、孫の聖武天皇の権威と政治基盤を強固にするために、日本書紀を捏造して産み出したでっちあげというのは、成立しない事になります。
日本書紀以前から、厩戸皇子を聖徳の人として尊称する風習があるという事ですから、厩戸皇子は=聖徳太子であり、しかもかなり有能で没後百年では信仰される程になった事になり、やはり、聖徳太子は実在する偉大な人なのです。
古代史ライターkawausoの独り言
新説はそれが定着するまでに、それに反論する多くの学説を納得のゆく証拠で説得していかないといけません。もちろん、上記に書かれた日本書紀以前の、聖徳太子の実在の証拠も、聖徳太子はいなかったと言うのであれば捏造であると証明しないといけないのです。
現在、それが成功していない以上は、現時点では聖徳太子は実在するとそういう事になりますね。
※現在の歴史教科書では聖徳太子の表記は消えて、厩戸王になっていますが、これは聖徳太子がいないという意味ではなく、生前は聖徳太子とは呼ばれていないから、という奇妙な理由です。
文責:kawauso
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