伊達政宗の逸話や過激エピソードは本当なの?眼帯や親殺しは創作?

2020年6月14日


 

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戦場で活躍する伊達政宗

 

伊達政宗(だて まさむね
)
には数々の逸話・エピソードが残されています。中にはとても過激なものもありますし、後世の作り話と分かっているものもあります。今回は、それらをなるべく政宗の人生に沿って解説していきたいと思います。

 

まずは、やはり有名な右目の眼帯からいってみましょう!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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伊達政宗の右目に眼帯していたのは本当?

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

映画やドラマなどで伊達政宗が描かれるときに、右目に眼帯をしているのをよく見かけますよね。

 

しかし、これは嘘!近年の創作です。どうも、1942年に製作された映画『獨眼龍政宗』から始まっているようです。それが、インパクトがあったので、その後の作品に踏襲されたということのようです。文献には、右目を覆っているという記述は全くありません。

 

真田丸

 

2016年の大河ドラマ『真田丸』では、こういったことを念頭に置きながらも「誰だか分かりにくい」ということから白い包帯を右目にしています。苦肉の策で、史実ではありません。また、この目のことは次のエピソードにも続きます。

 

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片倉小十郎が右目をえぐり出した?

 

政宗は、幼少のころに天然痘(てんねんとう)により右目を失明します。その際に、飛び出てしまった右目を片倉小十郎(かたくらこじゅうろう)が小刀で貫き、目をえぐり出したという逸話があります。

 

ですが、これも嘘!

 

政宗の遺骨は綺麗に残っており、それを研究した結果、眼球を取り出した痕跡はないと結論づけられています。また、左目は普通の人よりも大きく見開いていた可能性が指摘されています。片目では見えにくいので、しっかり見られるように進化していったのでしょうか。人体は不思議です。

 

現在の解釈では、眼帯などはしておらず、右目は白濁していたのではないかと考えられています。実際に、そのような肖像画が残っています。その一方、政宗は「生まれたときには右目も普通だったから」と肖像画には黒目を入れるように言っており、そういった絵の方が多いのもまた事実です。

 

大きなコンプレックスであったのでしょうね。まだ目に関して続きます。

 

伊達政宗は独眼竜というあだ名で呼ばれていた?

 

 

政宗は、独眼竜(どくがんりゅう)というあだ名も有名ですよね。大河ドラマのタイトルも『独眼竜政宗』でした。ですが、これも政宗が生きていたころには使われていなかったと考えられています。

 

ということで、半分嘘です。

 

この「独眼竜」という言葉が政宗に対して使われているのは、古くとも江戸時代後期(政宗の死後かなり経ってから)です。ですが、これが語感もいいし政宗のイメージにぴったりだったので、広く浸透していきます。そもそもの「独眼龍」というあだ名を持った人物が中国にいました。

 

独眼龍というあだ名を持った唐代末期の軍司令官

匠に兵士を操る夏侯楙

 

唐代末期で最強といわれている李克用(りこくよう)です。彼も隻眼(もしくは片目が極端に小さい)であったと伝わっています。また、鴉軍(カラス軍)という黒色に統一した軍を率いたことも、政宗が黒漆を好んだこととも共通していました。今では、この後世の創作が、幼い頃に李克用のことを学んだ政宗が真似をして黒を好んだという話をする人がいますが、それは間違いです。

 

まあ、それほどぴったりなストーリーだったということです。ちなみに、同じように隻眼であった修行僧・萬海上人の生まれ変わりであるという説は存命中に唱えられています。この方は軍人ではありません。政宗の、軍人という側面よりも、晩年に領地を豊かにしたということに対しての尊敬の念によるものと思われます。また話は若い頃に戻ります。

【次のページに続きます】

 

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sibagaki

ライター自己紹介: 歴史はやっぱり戦争・動乱期に惹かれてしまいます。平和主義者なのに。。。 好きな歴史人物: カエサル(シーザー) 何か一言: 戦国最強は武田信玄。

-戦国時代 (日本)