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仙台(青葉)城とはどんなお城?楽しみ方や秘密・魅力をご紹介

2020年7月4日


 

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仙台城

 

突然ですが「日本三大がっかり名所」という言葉をご存じでしょうか。一番目は高知のはりまや橋、二番目は北海道の札幌市時計台。この二つは鉄板なんだとか。しかし三番目は様々な候補があるようです。

小野小町

 

そういえば、世界中にたくさんの「世界三大なんどか」が存在しておりますが、三番目は諸説あるケースが多いようです。「世界三大美人」はクレオパトラと楊貴妃(ようきひ
)
、そして三番目は日本では小野小町(おののこまち
)
と言っておりますが、世界的にはヘレネーというギリシア神話に出てくる女神なのだとか。「世界三大夜景」は香港とナポリ、そして三番目は函館だったり、長崎だったりするそうです。必ず三番目に日本が絡んできているのはどうしてなんでしょう。もしかしたら日本人だけが「世界三大なんとか」って騒いでいるのかもしれません。

 

料理人

 

そういえば、「世界三大料理」も本来であればフランス料理、中華料理、そして三番目はトルコ料理なのですが、この三番目には様々な国が自国の料理を押している(イタリア、タイ、日本など)そうですよ。

 

話は戻ります。

 

日本三大がっかり名所の三番目として、自虐的に地元の名所を押す人が多いようですが、そのひとつとして「仙台(青葉)城」を挙げる方がいらっしゃいます。それはどうしてなのでしょうか。

 

人は「がっかり」する時、期待感が大きく、その期待感が裏切られるために起こります。どうやら広く伝わっている「仙台(青葉)城」のイメージと、実際の魅力とのギャップが発生しているようです。それでは「仙台(青葉)城」の本当の魅力は何なのか?

 

今回はそのあたりについて、様々な角度から考察していきたいと思います。

 

※ちなみに「世界三大がっかり名所」は、ベルギーの小便小僧、デンマークの人魚姫、シンガポールのマーライオン。その理由のほとんどは「思っていたより小さい」なんだそうです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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「お城=天守閣」「仙台城=伊達政宗」のイメージになってはいないか

伊達政宗

 

仙台(青葉城は)明治に行われた廃藩置県(はいはんちけん
)
まで270年続いた仙台藩62万石の中心です。初代藩主はあの有名な伊達政宗(だて まさむね
)
。城全体の面積は約2万坪(江戸城に次ぐ規模)といった情報から、「さぞかし立派なお城だろう」と思って訪れた観光客にとっては、確かにイメージとは遠くかけ離れた存在に映ることでしょう。

 

おそらく、そう思われる方の多くは「お城=天守閣」というイメージを持たれているのではないかと思います。そういうわたしも、いちばん最初に「仙台(青葉)城に訪れた時はそういったイメージを持っていましたので、「えっ!何もない。」っていう感想でした。

 

しかし、お城とはそもそも、敵から身を護るための軍事的な施設全体を指しています。ですので、「お城=天守閣」ではありません。

 

「何もない」じゃなくて、立っている場所全体が観光スポットなんだってことに気付いていただけると、「なんとも巨大なお城なんだろう」っていう真逆の感想を持っていただける筈なんです。そもそも仙台(青葉)城には天守閣はありませんしね。

 

鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス(徳川家康)

 

※天守台はあるのに天守閣がないのは、これまたなんとも不思議なのですが、これは伊達政宗が徳川家康(とくがわ いえやす
)
に対し敵意がないことを示すために敢えて築城しなかったと言われています。仙台(青葉城)を鑑賞するには、天守閣のイメージを捨てていただき、軍事施設全体としての「お城」を鑑賞していただけると、様々な魅力に気付いていただけると思います。

 

仙台(青葉)城築城時には伊達政宗の夢は終わっていた?

 

伊達政宗が生まれたのは1567年。織田信長(おだ のぶなが
)
は1534年生まれ。豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)は1537年、徳川家康が1543年。天下統一を目指し、東北地方を八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍で平定していった伊達政宗ですが、いかんせん遅く生まれすぎました。

 

金の亡者の豊臣秀吉

 

東北地方に広大な領土を築き、さぁこれからという頃には、豊臣秀吉は既に天下統一を目前にし、小田原城攻めを行う状況でした。歴史好きの人が語り合う際に、「伊達政宗が15年前に生まれていたら天下統一出来たのではないか」という話題が出てきますが、そういった想像をするのは楽しいですよね。

 

もしかしたら、東北地方を足がかりに関東地方をも平定した伊達政宗が、西から来る豊臣秀吉と小田原あたりで関ヶ原のような天下分け目の戦いをしていたかもしれません。しかし実際の歴史は皆さんがご存じのとおり、伊達政宗は豊臣秀吉の家臣として小田原に参陣したことで、伊達政宗の天下統一の夢は、実質的には終わりました。

 

豊臣秀吉没後、伊達政宗は徳川家康と行動を共にすることとなり、関ヶ原の戦いの際は、西軍側に立った上杉景勝の家臣、直江兼続を相手に、東軍側の同盟国として東北地方を戦場として戦うこととなります。

 

この戦いは、関ヶ原の戦いでの結果を経て終息します。そして結果、伊達家と上杉家は徳川政権下の下、隣国として存続することとなり、その後に築城されたのが仙台(青葉)城です。仙台(青葉)城にある政宗公騎馬像の前に立てば、伊達政宗と同じ視線で市街を、そして仙台平野を一望し、遥か先には太平洋の水平線までみることができます。

 

戦国時代が終わろうとしている時、伊達政宗はこの景色をどのような心境で眺めていたのでしょうか。実は伊達政宗は後に、支倉常長を正史としてヨーロッパに遣欧使節を送るわけですが、「スペインと軍事同盟を結び、討幕を企てていた」のではないか、という説もあります。

 

もしかしたら、まだ夢を見続けていたのかもしれませんね。実際に同じ景色を見ながら、伊達政宗の本心を思案してみるのも愉しみ方の一つではないかと思います。

 

徳川家康の命で築城された。敵は上杉家?それとも伊達家自身?

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

前述のとおり、仙台(青葉)城は関ヶ原の戦いの後に築城されました。大阪夏の陣の前ですから、我々の世代からみると戦国時代は終わっている訳ですが、当時の人達の感覚からすると、まだ完全に天下平定がなされたわけではありません。

 

そんな折、関ヶ原の戦いで徳川家康に味方した報酬として与えられた領地を統治するには、当時の居城であった岩出山城は北に位置しすぎているということで、居所を移転することとなります。

 

伊達政宗は石巻・日和山などいくつかの候補地を徳川家康に提示したのですが、徳川家康が築城を許したのが、当時千代城のあった現在の場所でした。海の交通という観点からすると、海からはかなり離れておりますが、広瀬川や名取川を利用すれば太平洋に出ていくことのできる要所でした。

 

しかし陸の交通という観点からすると、奥州街道からはかなり離れた場所であり、城下町として発展させるにはかなりの困難が予想されました。徳川家康が指定した場所は、天然の要害で護りを固めるには最適な場所だったのですが、経済の中心地ではなかったんですね。現在の仙台(青葉)城を選んだ徳川家康の真意はなんだったんでしょうか。

 

・東北圏の経済が発展し、仙台藩が財力を伸ばすことを警戒していた

・関ヶ原の戦いで最後まで抵抗していた上杉家との一戦を想定していた

・城の護りを固めようとした時に謀反の濡れ衣を着せ、取り潰そうとしていた

 

様々なケースが考えられますが、伊達政宗が天守台を造ったのにも関わらず、天守台を造らなかったのは、徳川家康の謀略にきづいていたのかもしれません。

 

最大の見どころは日本一と評された「天然の要塞」

 

訪日経験のあるスペインの探検家、セバスティアン・ビスカイノに「日本の最も優れ、又最も堅固なるもののひとつ」と言わしめた仙台(青葉)城。広大な仙台平野のイメージから平城かと思いきや、仙台(青葉)城は完全に山城です。

 

実はこのギャップが仙台(青葉)城の一番の見どころではないかと思います。本丸は山の上に造られており、南側は竜の口渓谷といって谷が長さが3kmにも及びます。深く切れ込んでいる地形で入り口付近でも40mの深さがあります。市街地にあるとは思えない、四季折々の野趣あふれる景色を堪能することができる場所です。東側は広瀬川が自然の堀として機能しており、断崖絶壁が天然の石垣の役割を果たしています。お城の背後にあたる西側は青葉山の尾根筋が続いています。

 

「御清水(おすず)」と呼ばれていた水源もあったようなので籠城するには完璧な環境です。つまり、三方向が天然の要害に囲まれています。戦国時代にもし仙台(青葉)城が存在していたのであれば、城攻めの得意であった豊臣秀吉であっても攻めあぐんだでしょう。

 

このように仙台(青葉)城の最大の見どころは「天然の要塞」として機能した立地環境です。おそらく仙台(青葉)城に訪れてがっかりされる方の多くは、バスなどに乗って友人とおしゃべりをしていたら到着してしまい、降りたら天守閣がなくてがっかり、というパターンなのではないかと思います。

 

可能であれば、ご自身の足で高低差や要害を実体験しながら、歩き回ってみてほしいです。例えば、現地で地図とにらみ合いながら、自分が軍師だったら仙台(青葉)城をどう攻略するのか、といったようなことを考えてみたりすることで、より一層知的好奇心をくすぐられること、間違いなしです。

【次のページに続きます】

 

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かずさん

かずさん

ライター自己紹介: 歴史との出会いは小学生の頃、図書館にあった日本の歴史に関する「漫画」でした。その後、ベタですがNHKの大河ドラマが好きすぎて「戦国時代」と「幕末」にはまっていきました。最近では城郭考古学者である千田先生の影響で「城」に一番の興味を持っています。先陣をきって攻めている足軽の気持ちになっての城散策が最高に楽しいです。 好きな歴史人物: 土方歳三、前田慶次、山本勘助、北条早雲、関羽雲長 etc 何か一言: 教科書で習ったイメージと事実とのあまりにも大きなギャップに驚きを隠せない今日この頃です。

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