松永久秀爆死はデマ!なんでこんな俗説が生まれた?

2020年7月18日


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松永久秀爆死はデマ!(1P目)

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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茶釜と松永の首は別々の話だった。

 

そもそも、久秀が火薬で自分の首と平蜘蛛を爆破したというのは、戦国時代のリアルタイムの記録である兼見卿記(かねみきょうき)多聞院日(たもんいんにっき)記には、見出せません。そこには、松永父子は切腹して火を放ち自らを焼いたという記述や遺体が焼けたあとで首4つが安土城に送られたという記録があるだけです。

松永久秀

 

ここには、鉄砲薬も茶釜を爆発させたという内容はありません。さらには猛火の中で失われた平蜘蛛についても松屋名物集(まつやめいぶつしゅう)には、若江(わかえ)三人衆の1人である多羅尾光信(たらおみつのぶ)が砕けた平蜘蛛の破片を継ぎ、もう一人の若江三人衆の多羅尾綱知(たらおつなとも)が天正8年(1580年)の閏3月13日の茶会で使用した事が分かっています。

 

はい!つまり、茶釜の破壊と松永久秀の首の話は、松永久秀が死んだ頃には、別々の話で、繋がった話ではなかったのです。

 

老人雑話で話が混ざった

西遊記巻物 書物_書類

 

日本中世史家の天野忠幸(あまのただゆき)氏の松永久秀と下克上によると、元々別の話だった松永久秀の首の話と砕かれた平蜘蛛の話が融合したのは元和(げんな)年間に成立した老人雑話(ろうじんざつわ)で、これにより久秀の首も平蜘蛛の釜も火薬で木っ端微塵(ぱみじん)に吹き飛んだ事になったと推測しています。

 

さらに老人雑話の話が、享和4年(1804年)に茶席で話題にすると良い数寄雑談(すきぞうだん)を選んで刊行された「茶窓閒話(ちゃそうかんわ)」に収録されました。どうして、茶席の話に松永久秀の爆死の話が選ばれたのかというと名物に命を懸けた久秀の生きざまが茶人らしいからという事でした。

 

戦国時代ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回は、松永久秀と爆死について書いてみました。

 

そもそも同時代では、茶釜の破壊と松永久秀の首は別々の話だったものが、老人雑話で一つになり、江戸時代も後半に茶席でするとよい話として収録された茶窓閒話に載り、茶器に命を懸けた茶人として松永久秀が知られるようになり、それが1960年代に茶器もろとも爆死する戦国のボンバーマンへと変化したのです。

人気がある人だけに、噂の尾ひれのつきかたもメガトン級ですね。

 

参考文献:松永久秀と下克上 室町の身分秩序を覆す

 

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麒麟がくる

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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