三国志演義でも白熱の戦いを見せる赤壁の戦い。この戦いで周瑜は曹操と対決する中で、曹操の水軍の名将でもあった蔡瑁をどうにかしようと策を巡らせます。
そして仕掛けた離間の策によって蔡瑁は曹操によって処刑され、赤壁で曹操の大敗する原因の一つとなりました。さてこの蔡瑁は三国志演義の例にもれず、正史とはだいぶ命運が違っています。今回はこの違いに注目すると共に、果たして蔡瑁はよくある三国志演義の被害者か否か、を考えてみましょう。
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正史における蔡瑁
正史における蔡瑁は、父の代から古くから荊州にいる一族であり、勢いも盛んな人物でした。劉表が荊州平定を行った後はその片腕として活躍することとなり、一族の家名も高まります。また蔡瑁の姉が劉表の後妻となったことも関係していたのでしょう。
ただし姉が息子、劉ソウを産んだことによって劉表渦中に不穏さが巻き起こります。蔡瑁は姉や甥の張允と画策して劉表や荊州臣民を懐柔、劉ソウを世継ぎにするべく行動を開始。劉キはその不穏さを避けて江東の太守となっていましたが、父が危篤で帰郷するも既に蔡瑁らに家中は掌握されており帰郷できず、後継ぎは劉ソウがなることなりました。
曹操に迎え入れられる
それを見過ごさないのが曹操です。曹操は荊州侵攻を行い、劉ソウはすぐに降伏。蔡瑁は曹操と旧知であったために高官として迎え入れられることになります。
元々荊州の地は蔡瑁にとって大きな地盤、しかも長江付近の土地に詳しく、水軍の諸法にも精通していた蔡瑁は魏にとって大きい戦力となりました。その後、蔡瑁は長水校尉・漢陽亭侯に取り立てられ、かなりの高位に就いたようです。
三国志演義の蔡瑁
では三国志演義の蔡瑁を見ていきましょう。大まかな流れは正史における蔡瑁と同じですが、劉表の元に身を寄せる劉備を警戒し、暗殺を考える話が挿入されています。実際に暗殺を行うも、劉備は的蘆に乗っていたおかげでこの窮地を脱出しました。
そして曹操配下に加えられるも、蔡瑁を警戒した周瑜の離間の策によってその最期を迎えます。因みに姉とその息子の劉ソウは曹操らに暗殺されているのですが、特に何もなく曹操に仕えているというちょっと疑問に思う展開が気になる所でしょうか。
一族まとめて引き立て役?
蔡瑁が謀反を疑われて曹操に処刑されてしまうのは前述した通りですが、これは赤壁で曹操が敗北してしまう大きな原因の一つとなっています。また蔡瑁の処刑を利用して、一族である蔡和と蔡中が埋伏の毒となって呉に投降……するも、周瑜と諸葛亮にあっさり見抜かれて逆に利用されるなど、これもまた曹操が敗北する原因の一端となっていますね。
そんな蔡瑁ですが、三国志演義では悪役として描かれています。しかし蔡瑁は果たして悪役だったのでしょうか?
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