織田信長の刀剣マニアぶりが怖い!倒した敵の刀を奪ってレベルアップ?

2020年8月1日


 

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こいつらが悪役達だ!

 

ゲームや漫画の悪役に、こんなパターンの悪役がよく出て来ませんか?

 

倒した敵の遺品をコレクションして、

「フフフ、わしのコレクションがまたひとつ増えたわい」

と夜中にそれを愛でている悪役。

 

デタラメに強い本多忠勝

 

そういう場合はたいてい、主人公の仲間が次々と倒されて、愛用の武器が悪役のコレクションに加えられ、そのたびに悪役もどんどん強くなり、恐ろしくなっていく、というパターン。そんなコレクター気質な悪役は、架空の世界だけの存在とお思いではないでしょうか?

敵将の頭蓋骨を盃がわりにして酒を飲む織田信長

 

ところが戦国時代の最大の英雄にして、日本史の教科書の重要人物でもある織田信長(おだ のぶなが
)
が、史実の記録の中で、幾度か、そんなキャラの片鱗をのぞかせているとすると、いかがでしょうか?

 

火縄銃を気に入る織田信長

 

織田信長といえば茶器や南蛮アイテムをコレクションしていた印象が強いですが、実はかなりの日本刀マニアという一面も持っていました。それも、ただの刀剣マニアにはとどまりません。生涯の宿敵を倒した記念に、相手の愛用の刀をコレクションに加え、そこに自分の名前を堂々と刻印するという、ゲームや漫画の悪役そっくりな趣味を持っていた形跡があるのです!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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本人もめちゃくちゃ嬉しい勝利と思っていた?今川義元から奪った刀剣を大事にしていた織田信長

同年小録(書物・書類)

 

『織田信長事典』(岡本 良一 松田 毅一 小和田 哲男, 奥野 高廣 (新人物往来社))という資料に、信長がそのような趣味を持っていたかもしれない証拠の品となりそうな、あるアイテムの記事が載っています。

 

その名も「今川義元佩刀」。かの桶狭間の合戦(おけはざまのがっせん)で織田信長の軍勢に討ち取られた、今川義元(いまがわ よしもと
)
が所持していた刀剣とされています。

 

若き頃の織田信長に敗れる今川義元

 

つまり織田信長が、今川義元撃退記念として持ち帰ったと推測される刀が、今も京都に伝わっているのです。しかもその刀剣、注目すべきことに、表には「永禄三年に今川義元を討ち取った時、彼が持っていた刀である(原文はもちろん漢文ですが意訳しました)」という意味のことが刻まれており、

 

織田信長

 

裏を見ると、そこには今度は、「織田信長」という名前が刻まれているそうです。自分が討ち取った大名から奪った刀に、手に入れた経緯の記念の銘を刻み、しっかりと自分の名前も刻印しているとは!

 

こういうものを見ると、どうしても、織田信長が夜な夜なこの刀を見ては

「フフフ。我ながら見事なコレクションだ」

とほくそ笑んでいる、「いかにも悪役」な情景を思い浮かべてしまいます!

 

かの松永久秀から献上されたのは足利将軍家の名刀!

馬に乗って戦う若き織田信長

 

同じ『織田信長事典』を参照すると、「信長がライバルから奪った刀剣」が現代にも遺っているとの記載が他にもあります。それは「不動国行」と呼ばれる刀。これは室町将軍、かの足利家に伝わっていた名刀と言われています。

 

どうして将軍家の名刀が織田信長の手にあったのか?

これはどうやら、かの松永久秀(まつなが ひさひで
)
からの献上品のようです。

 

茶釜にほおずりする松永久秀

 

松永久秀と織田信長の関係というのも、ずいぶん緊張感に満ちたものだったため、はたして松永久秀が自主的に献上した品なのか、

「お前、いい刀を持ってるな」と織田信長が凄みをきかせて差し出させたものなのかは不明ですが、

 

爆死する松永久秀

 

わかっているのは、これを差し出した松永久秀が、後に「これ以上オレの宝をくれてやってたまるか!」と、茶器に火薬を詰めて自爆してしまったということ。

 

爆死する松永久秀

 

この経緯を見ると、信長にどんどん自分のコレクションを持っていかれてしまうことに、普段からフラストレーションがたまっていた可能性があります。そして信長も、松永久秀が自爆したと聞いたとき、かつて久秀に差し出されたこの刀を夜中に取り出して、

 

「フフフ。やつもついに死んだか。この不動国行もますます怪しい輝きに見えるわ」とほくそ笑んでいたのではないか、とまた推測してしまいます。

 

松永久秀

 

もっとも、どうして松永久秀の手元に、足利将軍家の名刀があったのか、という問題もありますが。これは久秀が十四代将軍義輝の暗殺の黒幕とされていることを考えると、さして不思議ではないでしょう。

 

足利義輝

 

となると、松永久秀は足利義輝から刀を奪って、「フフフ。ライバルを蹴落として奪った刀剣というものは輝きが違うな」と夜中にほくそ笑んで暮らしていた可能性もあり、ひょっとして織田信長と松永久秀はどこか似た者どうしでは、という疑惑も出て来きますが。

 

まだまだ出てくる「疑惑の刀剣」コレクション!

信長公記_織田信長_書類

 

現代に遺っているのはこの2本ですが、他にも、信長の刀剣マニアぶりを示す記録は多々あります。たとえば『津田宗及茶湯日記』という文献によると、1580年、信長が総計20本近くの名刀を自慢する会が催されたことが記録されています。

 

天下布武を唱える織田信長

 

20本もの名刀の自慢となると、招待された人たちも大変だったのではと邪推してしまいますが、気になるのはその場で織田信長が、「越前から手に入れた脇差」なるものを披露していることです。1580年といえば、既に信長は越前の大勢力、朝倉家を滅ぼした後の時代。

 

よもやその刀剣も、朝倉家から奪い、

「フフフ」

と夜な夜な愛でていたものではないでしょうか!

 

妄想かもしれませんが、信長が敵の刀を集めてほくそ笑むキャラであってくれたら面白い!

資金が豊富な織田信長

 

いかがでしたでしょうか?

ゲームや漫画といった現代サブカルチャーのキャラクターのごとく、敵から奪った刀剣をコレクションして夜な夜なほくそ笑む信長という像は。

 

戦国時代ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

手前勝手な妄想と言われればそれまでなのですが、「存外、そういう一面もあったかもしれない」と思わせる証拠をいくつか、並べられたのではないかと思います。夜な夜なほくそ笑んでいたかは推測の域を出ませんが、少なくとも信長が、倒した敵の家宝を奪って、祟りや怨霊を恐れることもなく、平気で自分のものにしていた人だった点は、確かなようです。もっとも、殺されて家宝を奪われていった側の立場になってみると、これはたまりません。

 

松永久秀が、「せめてこの茶器は、信長の手に渡らないようにしてくれるわ!」とばかりに、もろとも自爆してしまった気持ちも、こうしてみるとなんとなく、わかってくるのではないでしょうか?

 

だからといって自爆してしまう人も、やはり凄い人ですが。

 

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織田信長スペシャル

 

 

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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