広告

キングダム裏話「秦が中華を統一したのは黄金都市があったから」


 

はじめての三国志コメント機能バナー115-11_bnr1枠なし

週刊誌を楽しみにするkawauso様

 

大人気春秋戦国大漫画キングダム、6週連続で連載したかと思えば2週間休みで、次の最新話は8月6日までお預けになりました。

そこではじめての三国志では、漫画キングダムでは描かれない部分を徹底して調べて皆様にご提供します。

今回は秦が中華を統一した原動力になった黄金都市南郡(なんぐん)について解説してみましょう。

では、今回も張り切って行ってみよう、キングダム休載がキターーーーー!!

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


【誤植・誤字脱字の報告】 バナー 誤字脱字 報告 330 x 100



【レポート・論文で引用する場合の留意事項】 はじめての三国志レポート引用について



キングダム裏話「秦で一番重要な都市は南郡!」

長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

秦国のもっとも著名な都市といえば咸陽(かんよう)です。

確かに秦の国王が住んでいる場所ですし、大都市ですが、秦に取っては決定的に必要な場所ではありません。都合が悪くなれば遷都(せんと)してもいいわけです。

 

実際、秦国では咸陽ではなく、(よう)という土地に長い間首都を置いていた関係から、国王は時々雍に戻って儀式をする事がありました。

内容に納得がいかないkawauso様

 

では、秦にとってここが失われると立ちいかなくなるような重要な都市はどこか?

それが南郡という都市でした。秦は南郡を手に入れる事によって中華統一が可能になったと言っても過言ではないのです。

 

キングダム裏話「楚の王都で黄金郷だった南郡」

白起(春秋戦国時代)

 

元々、南郡とは秦の領地ではありませんでした。

ここは、過去、()の王都、(てい)と副都、(えん)があった楚の最大の都市だったのです。

紀元前279年、秦はそれまで韓と戦っていた白起(はくき)をわざわざ呼び戻して楚を攻めさせ、漢水の上流から大軍で楚の副都鄢を包囲した上で、蛮水の流れを注ぎこんで水攻めにし数十万の楚兵を溺死させ、兵力を失い丸裸同然になった王都郢に攻め込んで蹂躙、歴代の楚王の墓を焼き払う徹底破壊の上で占領しました。

 

では、どうして秦は韓を攻略している白起を呼び戻してまで楚を攻めさせたのか?

ここが中華で最大の黄金都市だったからです。

 

キングダムネタバレ考察

 

キングダム裏話「臨淄に匹敵する繁栄を誇る郢」

洛陽城

 

この楚の王都、郢は春秋時代から中華一の黄金の産地でした。

当時は、東の大国斉の王都臨淄(りんし)に匹敵すると言われた程で、それは郢が物流の拠点であった事も意味しています。

白起は、郢を抑えて南郡とし、罪人や秦人、、趙、漢の住民を強制移住させて繁栄させ、結果的に秦の経済力を強化する事に繋がります。秦が郢を狙ったのは、当時の中華において希少だった黄金を入手する為でした。

 

キングダム裏話「楚の黄金で六国を買収する秦」

キングダム 戦国七雄地図

 

そして秦が楚の黄金を抑えた事は、黄金の力で秦が六国を買収する事を可能にしました。

紀元前235年、呂不韋(りょふい)が失脚した後にやってきた魏の人尉繚(うつりょう)が秦王政に対し、秦の財力を使って六国の有力者を買収し、それによって合従軍(がっしょうぐん)を阻止して、智伯(ちはく)夫差(ふさ)、直近では斉の(びんおう)のような失敗を防ぐべきだと進言します。

 

この時、秦王は三十万金という大金を尉繚に与えて、六国の有力者を買収するように命じますが、この三十万金とは漢の時代の三十億銭に当たり、漢の時代の国家予算の2/3に匹敵するような金額でした。

日本に例えるなら、60兆円を買収工作に使うという事でしょう。ベラボーですね。

 

これほどの巨額の賄賂を前に、抗えるような六国の要人はいなかったようで、秦が恐れた合従軍も紀元前241年の五カ国合従軍を最後に二度と行われていません。

敗北し倒れている兵士達a(モブ)

 

秦の侵略が激しさを増す中で、どうして六国が連動しなかったのか?

それぞれの国が疲弊していたという事もあるでしょうが、秦の買収により六国が合従軍を嫌悪していた事も大きく影響しているでしょう。

【次のページに続きます】

 

次のページへ >

  • この記事を書いた人
  • 最新記事
kawauso

kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-キングダムのネタバレ考察
-