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この記事の目次
この4人だけが成し遂げた究極の成果とは!
いかがでしょう?
毛利元就や島津義弘はともかく、長曾我部元親や鍋島直茂は、意外な名前だったのではないでしょうか?
私がこの4人を評価しているのは、実はこの人たち、他の大名ができなかったことを成し遂げたという共通点があるのです。
戦国時代ライターYASHIROの独り言
幕末明治が好きな人はピンときたでしょうか。この4人は、間接的ながらも、260年後に徳川家を倒して天下を取ることに成功したのです!
いわゆる幕末の薩長土肥というやつですね。
薩摩藩では、島津義弘のことが英雄譚としてずっと語り継がれ、薩摩に生まれた武士の子供たちは「いつかオレたちも中央に出て凄いことをやりたい!」という熱意を持つようになり、維新につながりました。
長州藩では、毛利元就があれほど広めた勢力が、関ケ原の敗北で一気に取り上げられた恨みが、ずっと藩士たちの間に「徳川なにするものぞ」という気迫を持たせたといいます。
土佐藩では、長曾我部家が関ケ原の敗北で取り潰された後、苦汁をなめた遺臣たち(土佐藩の下級武士)がその反発心を募らせながら江戸期を過ごしていました。肥前藩では長崎の管理人としての立場が幕末の段階に活き、最新式の武器がここから討幕軍に拠出されました。
彼ら4人が直接に討幕を成し遂げたわけではないにせよ、長い目で見れば、彼らの威光が260年経過してからの大逆転につながった、とも見えるのです。何やら奥深い、歴史の因縁を感じるのではないでしょうか?
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