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この記事の目次
姫路城はどうして「廃城令」を逃れることが出来たのか
明治時代が始まるまで、日本全国いたるところに天守閣(お城)があったわけですが、現在は12基しか残っていません。それはどうしてなのでしょうか。実は天守が減ってしまったのは、大きく2つの時代背景が考えられます。
「一国一城令」
徳川幕府は大名の防衛力を削ぐため、居所となる1城以外の城の破却と、新しく城を造ることを禁止しました。それによって全国に3000程あった城は江戸時代には170ほどに激減してしまいます。
「廃城令」
廃藩置県を機に天守(お城)は一旦陸軍の所有物となりました。しかしすべてが軍用地として必要だったわけではなく、維持費に莫大な費用がかかったため、要塞として必要な天守(お城)は残されることとなり、その他の城は財務省の管理となり、取り壊されてしまいました。お城跡に学校や県庁、警察署などが建っているのはそのためです。
「姫路城」も例外ではなく、陸軍省の管轄となり駐屯地として使用されますが、資金難もあり、天守閣などの建造物は荒れ果てたまま、放置されていました。そんな時、中村重遠大佐が荒廃を憂い、1878年(明治11年)、山縣有朋に対して「姫路城は永久保存するべき存在であり、一日も早く修理をすべき」という内容の伺書を提出しました。
この結果、姫路城は倒壊を免れ、現在にその姿を残すことができました。「菱の門」から城内に入ると、左側に「中村大佐顕彰碑」という石碑があります。お城に落ちた焼夷弾を不発にしてくれた神様と仏様、必死に城を守ろうとした太平洋戦争当時の姫路の市民の皆さま、そして中村重遠大佐、「姫路城」をわたしたちに残してくださり、ありがとうございました。
「姫路城」=「武将」のイメージはなく、ご当地キャラは「しろまるひめ」
時はゆるキャラ全盛時代。前述のとおり、「姫路城」は世間的にはあまり「武将」と紐づいた印象がないので、城の最大の押しどころは「白壁」となっています。「姫路城」は別名「白鷺城(はくろじょう)(しらさぎじょう)」と言われています。名前の由来は、真っ白な天守群がそびえ立つ姿が、まるで白鷺が羽を広げているように見えるということから来ているのですが、「姫路城」のキャラクターも、白鷺を彷彿とさせる真っ白な姿の可愛い女の子キャラ、「しろまるひめ」が勤めています。
歴史は意外に古く、2009年の姫路お城祭りで披露されたそうです。(ちなみにひこにゃんの誕生日は2006年でした。)
唄が得意で、HPで唄声が3曲も公開されています。そのうち一曲には振付までついています。そしてなんと、Facebookまでありますよ。
場内の散歩スケジュールなども公開されています。
ひこにゃんは人気なのに、しろまるひめはあまり目立っていませんね。ですが、HPなどをみると、観光協会もすごく力が入っているような印象を受けました。
戦国時代ライターかずさんの独り言
いかがでしょうか。現存する「お城」の多くは、戦国時代というより江戸時代初期に築城されています。従来の、「戦」を行うために造られた、砦の延長戦というべき山城から、統治の象徴としての役割を担い、そして徳川幕府にとっての懸念点となりうる勢力の抑えとしての存在を求められた時代。
そこには城下町が栄え、経済の中心地としても発展していく。そして何時しか住民の象徴となり、愛される「お城」となっていく。「姫路城」を知ることで、そんな昔の人たちの思いに触れることができたように思います。もちろん「お城=天守閣」という王道を最大限に体現出来る場所、そして平和の時代・江戸を体現できる場所、「姫路城」にぜひ圧倒されてみてください。
参考URL:
・城びと - 第41回【鑑賞】石垣って積み方に違いがあるの?(外部リンク)
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