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この記事の目次
「どのくらい美人だった?」
と言うのも、孫策、そして良家の出身であり、芸術センスに優れていた周瑜の妻の一人となった小喬。短いとはいえ小喬は周瑜の愛妾と迎え入れられ、10年ほど結婚生活を過ごしています。
嫌な言い方をすれば、その合間に不満があれば何かしらアクションがあったと思います。周瑜の妻として生きていたのだから、それなりの魅力が内面、外見にあったのではないか……それこそ一目惚れするほどの、と思うのですが、どうでしょうか?
周瑜の子の母親は小喬?
因みに記述を見ると、周瑜には三人の子がいたようです。ただしこの子供たちが小喬の子供かどうかは分かりません。姉の大喬と同じく、小喬も夫を早くに亡くしたので分からない、といわれることが多いですね。
しかし小喬は姉とは違って結婚生活がそれなりの期間あることを考えると、全部とは言わないものの一人、二人は小喬の子供であったのではないかと思われます。この辺については周瑜の他の奥さんの名前が分かってないから、という背景もありますけどね。
小喬のイメージ
最後にちょっと余談を。皆さんの小喬のイメージはどんなイメージでしょうか?
とある映画のイメージから芯が強く、淑やかなイメージという人も多いでしょう。
しかし実は周瑜と小喬の逸話で、小喬は夫に喧嘩の時に物を投げつけた……というお話があるのです。この話を聞いた時からどうしても小喬はちょっと気が強くて、周瑜でもちょっと手を焼く……だけどそこが可愛らしい……というイメージがあります。
なんて、筆者の小喬イメージでした!
三国志ライター センのひとりごと
小喬は姉の大喬と同じく、美人とは伝わっている物のそのイメージや話の大半は三国志演義のものであり、正史三国志を見て見ると記述の少なさに驚く人物の一人です。
しかし比較になりますが、大喬よりも三国志演義での記述がちょっと多いので、もしかしたら夫が長生きした分イメージされやすいのかな、とも思います。今後はもっと小喬、大喬の出てくるお話が増えてきたら面白いな、と期待している一人ですね。
参考文献:呉書周瑜伝
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