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この記事の目次
人身売買の市
戦場で一番手に入りやすい戦利品、それは人間でした。戦国時代はどこでも人手不足で人間を必要とし、敵国の領民を捕えて売り飛ばす為に、城内に人身売買の市が立つ程でした。
人間は怪我していなければ自分で歩きますし、食事と適当な休憩さえ与えれば、牛馬と違って世話をする必要はありません。言葉も通じますし、あらゆる作業に従事させられるので重宝だったのです。甲斐の妙法寺記という史料では、1人二貫文から十貫文で、現在価格では20万円から100万円の値打ちがついたそうです。
足軽農民は、合戦で功名を立てようではなく、命を張った対価として乱取りで利益を得る事を第一に考える人々でした。まあ、彼らだって戦死者の8割から9割を占める消耗品扱いですから、略奪でも許されないとやってられなかったのでしょう。
逃亡すると味方に斬られる足軽
命懸けの合戦でも勝てば、それなりの戦利品を得られた農民足軽達ですが、負け戦になると一転して、落ち武者狩りに遭って狩られるという悲惨な境遇でした。それでも武士であれば、敗戦でも華々しく戦い討死したというのは子孫に対する遺産になりますが、無名な足軽では、ただの犬死です。
しかし、負け戦だからと言って、足軽は簡単に逃げられませんでした。越後上杉氏の軍記物「北越軍談」には、軍陣法令29条があり、その18条には、
「あるいは主、あるいは与頭戦死の時には、その支配下の兵は一カ所を守り共に死すべし
もし、その場から逃れる者あれば、たちどころにこれを誅殺する」
このようにあり、足軽であろうと主、あるいは部隊長が死ねば、逃げずに共に死ねと命ずるものもあり、その場合ふんだり蹴ったりです。
戦国時代ライターkawausoの独り言
このように足軽に褒美は無く、勝利後の乱取りだけが報酬でした。それも、敗戦しようものなら一瞬で、落ち武者狩りの対象になり逃げようにも軍律で退けば死刑とされている事もあり、割に合わないのが実情だったのです。
参考文献:歴史道 戦国合戦の作法と舞台裏
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