司馬遷とはどんな人?実は前漢時代のホリエモンだった!




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『史記』の完成という使命を貫いた司馬遷

 

司馬遷(しばせん)は、不朽の歴史書史記(しき)を書いた人物として有名です。

 

項羽

 

豊かな表現力と、辛辣な洞察力、さらに、敗れ去る者への哀惜(あいせき)に満ちた筆致は、判官びいきな日本人の性格にも合致し、項羽の最期等は涙なしには読めない人もいたでしょう。でも、そんな司馬遷が本当はどんな人だったのか?知らない人は多いようです。

 

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

kawausoが調べた限り、司馬遷は、ほとんどホリエモンみたいな事を言っている人でした。




代々宮廷の記録係の家に誕生

司馬遷

 

司馬遷は、字を子長(しちょう)と言い、左馮翊夏陽県竜門(さひょうよくかようけんりゅうもん)で生まれた中国前漢時代の歴史家で史記の著者です。

彼の家は周の時代からの宮廷の記録係、司馬氏の子孫で、父の司馬談(しばだん)太史令(たいしれい)として記録係でした。

 

司馬遷の故郷は、牧畜が盛んな所であり、少年時代の遷は、牧畜と農業で心身を鍛え、9歳になると家塾で勉強を開始し10歳では尚書を暗記してそらんじる程になっています。成長した司馬遷は遊学の為、長安に移動し、そこで董仲舒(とうちゅうじょ)のような高名な学者に師事し歴史家としての能力を高めていきます。




20歳で史記の取材旅行の旅に出る

kawauso編集長と村人(農民)

 

20歳になった司馬遷は、東南及び、中原を巡る旅に出ました。

 

この旅行が単独旅行か複数名による旅行か不明ですが、司馬遷は韓信(かんしん)の母の墓や、聖王舜が葬られたとされる山、九疑山(くぎさん)屈原が身を投げたと伝わる汨羅江(ぺきらこう)を見学し、東南方向では楚の文化に触れ、戦国の呉王として知られる呉王闔閭(こうりょ)夫差(ふさ)ゆかりの姑蘇(こそ)や五湖を訪れ儒教発展の土地である斉や魯へ赴いています。

項羽

 

また、楚漢戦争から60年しか経過していない当時、各地には戦国の英雄の姿を見ていたり、直接話したり、あるいは父からその話を聞いたというような古老が生き残っていました。

司馬遷は、そのような人々に積極的に取材してリアルな英雄の姿を肉付けしていきました。この旅行は史記の誕生に欠かす事ができない財産だったのです。

 

父、司馬談死す、太史令を継ぐ

洛陽城

 

長期の旅行を終えた後、司馬遷は22歳で郎中に任命され、皇帝の勅命の使者や巡遊に随行する地位になります。司馬遷が仕えたのは、前漢の7代皇帝として漢の全盛期を築いた武帝でした。

武帝は巡幸のような派手な事が好きな人物であり、司馬遷も武帝に従い、巴や蜀、(てん)などの西南巡遊に随行し昆明まで至ります。

 

元封元年(紀元前110年)父の司馬談が病に倒れ、自分が果たせなかった歴史書編纂の事業を息子の司馬遷に託しました。

 

父の死から3年後、元封3年(紀元前108年)司馬遷は父の後を継いで太史令の官職につきます。本当なら父の死後にすぐ継ぐべきでしたが、3年の喪に服して官を辞退していたのだそうです。

太史令は仕事柄、多くの書籍に触れる事が出来、司馬遷も豊富な知識をさらに吸収していきます。一方で、武帝の巡幸にも従うなど、忙しいながら順風満帆な人生を送りました。

 

史記編纂を開始する

水滸伝って何? 書類や本

 

太初4年(紀元前104年)40歳を過ぎた司馬遷は父から受け継いだ大事業に取り組みます。史記の編纂です。

20歳の時から大旅行し、その後も武帝の巡遊に付き合い、中国各地を訪ねて土地の古老から聞き取りを重ねた遷は、いまならば父に恥ずかしくない史書が書けると決意したのです。

 

史記執筆中も、武帝の全国巡遊は続き、司馬遷は史記の内容をより深く広くすることが出来ました。しかし、人生で最も脂が乗ったこの時期に、司馬遷は悲劇的な事件に巻き込まれてしまうのです。

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