三国志、というからには三国が存在してこそでしょう。嘗て諸葛亮は天下三分の計を唱えました。
天下を三つの勢力を等分することで、パワーバランスを保ち、大きすぎる国力が突出しないようにして……その考えは、劉備を天下に名乗りを上げられるだけの人物にしたことでしょう。
しかし天下は果たして本当に三分されていたでしょうか?
今回は魏呉蜀の国力差について、話したいと思います。
天下三分の計
天下三分の計とは、諸葛亮が劉備に対して説いた計略であり、天下に名乗りを上げるための作戦です。これはその名前の通り、三勢力が鼎立し均衡を保つことを目的としています。
当時、曹操という一大勢力と言っても良い存在がいました。この勢力、権威と争うのは不可能であり、まともに正面から争うのは不可能と言っても良いでしょう。
だからこそ勢力を三つ作ることで、一つだけが敵にならないようにするのです。一つが一つと争うともう一つが背後に回る可能性があるからこそ、容易に戦えなくなる……当時、まだまだ力のなかった劉備を敗北させないために、力を付けさせるために、諸葛亮が考えた計略です。
最終目的
ただ天下三分の計は、ただ均衡を保つことが目的ではありません。最終的な目的はあくまで「天下統一」です。これを勘違いしていると「天下三分の計とか言っているのに何でお互いに戦っているんだ?」となってしまいますから、そこははっきりしておきましょう。
あくまで当時、一大勢力であった曹操をこれ以上力を付けさせないように、その勢力が一国に集中攻撃してこないように、生き残っていくための政策であると考えて、その先の天下統一は諸葛亮も考えに入れていたと思います。
時代における強み
さてでは実際に天下は三分されていたのか?
三国志を地図で見ると確かに土地面積では三分されているようなないような、微妙ですがまあされているといってもいでしょう。
しかし三国のパワーバランスはこれだけで考えられるでしょうか?
そう、この時代の国力はどこで量るべきか……色々な要因があるでしょうが、筆者はこの時代の力は何よりも「人」であると考えます。
人がいるからこそ人材があり、食料が生産でき、兵士を集め、国が成り立つからです。何よりも育てるための時間が非常にかかることを考えると、人ひとりはかけがえのない国の財産であると言えるでしょう。
魏・呉・蜀の人口差
ではこの時代における人口をざっくりと見ていきましょう。
魏:約400万
呉:約230万
蜀:約94万
これは魏は260年代、そして呉と蜀は滅亡時の人口です。数字にすると分かりますが、魏の数が一番多く、そして蜀の人口が最も少なく……魏からすれば四分の一程度の人口しかいなかったのです。あくまで人口だけですが、とても天下三分、とは言えない差が生まれていることがお分かり頂けるでしょうか。
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