司馬懿の兄弟は司馬八達と言い、いずれも有能だったとされているが、1人だけ調子の違う人物がいたらしい。
正史三国志杜恕伝にいわく
近頃では司隷校尉の孔羨が大将軍(司馬懿)のクレイジーな弟を招聘した時、所管の役人は沈黙したままで、
権力の動きを察知する有様は、依頼を受けた場合よりもなお、酷いものがありました。
官吏の選抜推挙が出鱈目な事は人事の大問題です。
ここに出てくる孔羨とは、孔子の21世の孫で、孔融の一世代後にあたる。同じ孔子の子孫でも、こちらは融通が利くようだ。
文面に出てくるクレイジーな司馬懿の弟とは、司馬防の5男で司馬通と言い、司隷従事になった。
司馬懿が大将軍になった時代だから大和4年(西暦230年)以後の出来事だと思われる。
司馬八達と言って、厳格な父の教育を受けても、一応、当時の価値観ではクレイジーとされる人物も出る。
だけど、司馬懿の権勢がかなり強まっていたのか人事は情実にながれ、結局は都知事の秘書のような仕事に就いたみたいだね。
前回記事:今日のkawauso34「仕事が無くなるデメリット」