

いよいよ放送再開されたNHK大河ドラマ「麒麟がくる」
軟禁されていた駿河で駒が知り合ったのは、万病に効く丸薬を貧しい庶民に与えている正体不明の老人、芳仁でした。京都に戻った後も、駒は芳仁に教わった丸薬を造って貧しい庶民に与えていましたが、その事で東庵と喧嘩になり、診療所を出ていってしまいます。
では、戦国時代、実際にはどんな薬があったのでしょうか?
戦国大名朝倉氏の家薬 生蘇散
最初に紹介するのは、明智十兵衛が居候する越前朝倉氏の家薬、生蘇散です。
生蘇散は、近年、熊本県で発見された針薬方に記載された薬で処方は
①芭蕉の巻き葉、②スイカズラ、③黄檗、④山桃の実と皮の5種類。
この材料を黒焼きにして粉砕し、同じ分量を油を繋ぎとして混ぜ合わせれば完成です。
山桃の皮は、季節ごとに加減し春冬は等分で、夏は多めに入れるのがポイントで、その使い道は、貝の殻の中に入れて戦場で負った切り傷に使いました。
戦国時代は絶え間ない戦乱の時代であり、全国の武家は生傷が絶えない毎日を送ります。その中で、次第に薬の知識が必要とされ各々の武家に家伝の薬が誕生しました。
越前朝倉氏も、若狭、美濃、飛騨、加賀と抗争を繰り返しており、医学についての興味は非常に強かったのでしょうね。また、近年の発掘で越前朝倉氏の本拠地一乗谷には、医師が住む区域がある事が分かっていて、生蘇散も医師の手で一定数生産されていたのかも知れません。
戦国のプラセンタ 混元丹
ブタやウマ由来のプラセンタは、美容と健康に欠かせないとして特に女性に人気ですが、戦国時代には、元祖プラセンタである混元丹という薬がありました。
16世紀初頭、室町・戦国時代に西中国~北部九州一帯を支配した大内氏。その大内氏の影響下の安芸を統治した有力家臣が杉弘相です。こちらの杉弘相の家臣、乃美備前守が戦争で手柄を立てた時に、弘相が感謝状と共に贈ったのが、戦国のプラセンタ混元丹です。
もう一度、申し上げます。
混元丹を一貝差し上げます。
委しい事は宮内兵庫助が親しく申すでしょう。
それにしてもあなたの戦場での御高名は
とてもとても素晴らしく、
手紙に書き尽くせるものではありません。
ここで言う混元とは哺乳類の胎盤でプラセンタを意味し、丹とは赤を意味します。そのため、混元丹は赤色の丸薬か赤い練り薬と考えられます。戦で大手柄を立てた比類なき乃美備前守を労うべく杉弘相は、お疲れ様の気持ちを込めて、混元丹を贈ったのですね。
坊主の施薬 豊心丹
戦国時代に興福寺のあった奈良県では、古くから薬の生産が行われていました。また、仏教寺院が多い事から、貧しい民衆に向けて施薬と呼ばれる薬の施しがあったようです。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でも、覚慶が民衆に体の具合はどうか?と尋ねるシーンがありますが、覚慶は施薬もしているのかも知れません。そんな大和国には豊心丹という薬があり、西寺寺の叡尊の創製(1242年)によると伝えられる薬です。
この薬の処方は金瘡秘伝(1578年)によると高麗人参、白檀、沈香、ヒハツ、樟脳、縮砂、丁字、木香、等々15種類で効能は、下痢、渋腹、風気、頭痛、二日酔い、心気の疲れ、吐血、下血、子供の疳の虫等、万病に効くとされていました。現在では、ほとんど生産されていないようです。
織田信長の薬草園
戦国大名と言えば、徳川家康が薬マニアとして有名ですが、一見、病気に縁が無さそうな織田信長も、ポルトガルの宣教師、フランシスコ・カブラルの勧めで伊吹山に薬草園をつくらせ50平方メートルの敷地には西洋の薬草3000種類が栽培されていたと言われています。
この薬草園は、現在存在しないものの、ヨーロッパ原産のイブキノエンドウ、キバナノレンリソウ、イブキカモジグサが、日本では伊吹山にのみ自生している事が有力な証拠になっているそうです。こうしてみると織田信長も、自身は健康であるものの、病人が多い事に気を配っていた事が分かります。もしかすると、岐阜で大量の西洋薬を製造し、南蛮渡来の妙薬として、全国に売り出そうと考えただけかも知れませんけど…
解毒薬 底野迦
戦国時代と言えば、権謀術数渦巻く時代であり、戦国大名は常に毒殺の危険と隣り合わせでした。そこで、底野迦と呼ばれる解毒剤が重宝されます。
底野迦という、変な名前から分かるように、これは日本でも中国でもなく、紀元前1世紀に黒海の南にあるポントス王国の王ミトリダテスが造った解毒剤ミトリダトが原型であるそうです。その後、底野迦は、ローマ皇帝ネロの侍医であるダモクラテスが改良し、同じく侍医のアンドロマコスが毒蛇の肉を加えて完成させました。
底野迦はアラビア人に盛んに用いられ、そこから中国に伝わり唐代の書物「新修本草」の中に底野迦として収載され日本の医心方にも収載されました。しかし、実際のテリアカは16世紀の戦国時代にポルトガル人によって日本に伝えられたと推定されます。
そう言えば、前述のカブラルもポルトガル人の宣教師でしたが、もしかして信長の薬草園にも、テリアカの材料になる薬草があったのでしょうか?
処方は、毒蛇の肉以外は不明で、60種類以上の薬草や土、動物の糞が混ぜられているとされ、毒蛇や動物の咬傷の治療に用いられました。
麒麟がくるライターkawausoの独り言
今回は、戦国時代に実際にあった薬について紹介しました。戦国時代は、医師の数も少ないですし掛かれるとしても健康保険もなく診療費も高額でした。そんな貧しい庶民でも、薬なら買えるので庶民にとっての薬は健康を維持する為に欠かせない存在だったのでしょうね。
関連記事:【麒麟がくる】近衛前久はどんな人?戦国のスパイダーマン乱世に暗躍す












