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今日のkawauso58「楽天先生って誰?」

2020年10月29日


監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魏晋世語(書類)

 

抱朴子(ほうぼくし)は、西暦317年、西晋滅亡の翌年に葛洪(かつこう)によりまとめられたものであり、時代的にも三国志に近い、従って話題も三国志に関連したものが出てくる。しかし、出てくる人物に水鏡先生のような通称が多く、今となっては誰のことやら?みたいな人もいる。

 

以下は、抱朴子外編巻三十六安貧(あんひん)

人事を担当する許靖

 

ここに楽天先生と言う人がある。

 

戦乱を避けて蓬の実のように転々として益州に流れてきた。最初は太傅の許靖に親しまれ、後には諸葛孔明に知られた。

 

しかし、言いたい事を言い、行いは方正で他人と妥協しないので世間の人に憚られ、味方する人がいない。当時、許公も諸葛公も、皆の意向に反対するだけの権力がなく、そのため先生は茅屋に逼塞する羽目になった。

 

 

その後、楽天先生は、老齢になっても布衣(ほい)のままで、用いられる事なく死んだらしい葛洪(かつこう)は出世にあくせくせずに、清廉と安貧を貫いた楽天先生を隠者と褒め讃えているけど、しかし、この楽天なる人物が何者かは言及されていない。

 

葛洪が適当にでっちあげた人物なのか?

それともモデルはいるけれど、子孫が存命なので実名を憚ったのか?

どっちなのかは分からない。

 

前回記事:今日のkawauso57「インフルエンサーと曹操」

 

春秋左氏伝

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

-kawauso編集長ぼやき