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この記事の目次
王平の人物像はどっち?
前述したように、軽はずみにものを言う、なんて書かれてしまっている王平ですが、それと同じく「冗談を言ってふざけたりはしなかった」「一日中姿勢良く座っている」「でもあんまり武将らしくない」と書かれています。この部分だけを統合すると「礼儀正しく真面目」という人物像の方がしっくりきますね。
更に言うなら王平伝では「法を尊び履行する人」と記されていて、何だかイメージがちぐはぐです。そこでこんな評価になった一つの仮説を考えてみました。
陳寿、王平に会ったことがあるのでは?
さて王平は晩年の蜀を支えた英雄と言っても良い人物です。そしてこの時代、こういった人は良く「本人にお会いして話を聞きたい!」とお勉強に来る人が多くいます。もしかして陳寿も英雄と名高い王平に会いに行ったのでは?
と、ここで出てくるのが「実は王平は異民族出身」という説。今でも他国の人々とは生活習慣が全然違ってびっくりするというのは良くあると思います。当時としてもそれがあって、自分たちの習慣とは違ったことをする王平は「偏狭」「軽はずみにものを言う」、法を尊ぶ姿勢を「疑り深い」と感じてその通りに記してしまったのではないかな、と思います。
ただし良い一面もしっかりと記しているところを見ると、陳寿もそれほど不快に思わなかったか、見る人によっては王平のそういった違いには目が行かず、礼儀正しい性格を評価していたためにそれもそのまま(公平に)陳寿が記したから、何だかちぐはぐな性格が見えてきたのかな、なんて考えてみたのですが、皆さんはどうお考えですか?
三国志ライター センのひとりごと
王平は馬謖と組んだ話が有名ですが、それ以外の面でもしっかりと功績を挙げ、武将の一人として立派に蜀を支えた人物です。ただその性格をまとめると、何だか人物像がちぐはぐになるという一面もあります。
今回はそこに注目して、そうなってしまった理由付けを考えてみました。馬謖との山登りばかり注目されてしまう王平ですが、その人物像も中々面白いので、皆さんもぜひ考察してみて下さいね。
参考文献:蜀書王平伝 馬謖伝 魏延伝
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