こちらは2ページ目になります。1ページ目から読む場合は、以下の緑ボタンからお願いします。
この記事の目次
クレオパトラ7世、弟により追放される
クレオパトラは、正式にはクレオパトラ7世フィロパトルと言い、紀元前69年プトレマイオス12世アウレテス、母クレオパトラ5世の娘として誕生します。兄弟姉妹には、姉のクレオパトラ6世、ベレニケ4世、妹のアルシノエ4世、弟のプトレマイオス13世、プトレマイオス14世がいました。
ちなみにクレオパトラとはギリシャ語で「父親の栄光」を意味する言葉だそうです。
プトレマイオス朝では、前述した通り、権力を巡る骨肉の争いが常態化していました。クレオパトラが14歳の時、紀元前55年、父プトレマイオス12世と姉のベレニケ4世は王位を巡って争い、父がローマの支援を得て勝利しベレニケ4世を処刑します。
ちなみにこの時、プトレマイオス12世を支援した軍人にポンペイウスの部将のアントニウスもいて、当時28歳の青年将校でした。不思議な運命の巡り合わせで、クレオパトラとアントニウスは、これから16年が過ぎて再会し結ばれるのです。
紀元前51年、クレオパトラが18歳の時に父が死去、父の遺言とプトレマイオス朝の慣例で兄弟で一番年長のクレオパトラ7世が弟のプトレマイオス13世と兄弟婚を行い共同統治に入ります。
クレオパトラはローマとの同盟だけがエジプトが生き残る道と考えていましたが、プトレマイオス13世は、ローマから離れて独立を考えていました。どうも、最初から姉弟統治は波乱含みだったようです。
紀元前49年、ローマでカエサルと元老院&ポンペイウスの間で内戦が勃発しました。クレオパトラ7世は父の時代にポンペイウスを支持した経緯から元老院派を支持、ポンペイウスの息子がアレクサンドリアを訪れると予想を上回る兵員、及び、食料を提供。さらにポンペイウスの息子の愛人になったそうです。
しかし、クレオパトラの行動を売国行為と考えた弟のプトレマイオス13世は激怒し、クレオパトラの排除を決意、アレクサンドリアの住民が、親ローマのクレオパトラに対し起こした反乱に乗じてクーデターを決行。クレオパトラを東部国境のペルシオンに追放しました。
カエサルを誘惑し権力を確立
ところが、クレオパトラが見込んだポンペイウスはカエサルに敗北、エジプトに逃れたポンペイウスはプトレマイオス13世に殺害されます。
紀元前48年9月、ポンペイウス追討の為にエジプト入りしたカエサルは和解を図ろうと、クレオパトラとプトレマイオス13世をアレクサンドリアへ召集しますが、ペルシウムで弟と激戦中のクレオパトラがアレクサンドリアに出頭するのは簡単ではありませんでした。
プルタルコスによると、この時クレオパトラは機知を働かせ、自らを寝具袋にくるませてカエサルに贈物として届けさせて弟の軍勢の監視を潜り抜け、アレキサンドリアに辿り着いたとされていますが、史料的な裏付けはないそうです。
しかし、何らかの手段でカエサルに会見したクレオパトラは、持ち前の美貌と、機知に富んだ会話であっという間にカエサルを魅了、その愛人に収まりました。
これに激怒したプトレマイオス13世が、エジプト軍を差し向けると、カエサルはローマ兵を使って迎え撃ち、ナイル川の戦いで圧勝。プトレマイオス13世を溺死させました。
プトレマイオス13世の死後、クレオパトラは、もう1人の弟をプトレマイオス14世として即位させ、また兄弟婚をして共同統治を開始します。しかし、今回はローマの実力者カエサルをバックに持つクレオパトラの勢力が強く、プトレマイオス14世は飾りであり、エジプトは女王クレオパトラの独裁政権になります。
カエサルが暗殺される
紀元前47年、クレオパトラはカエサルの子と言われるカエサリオンを産みます。翌年、カエサルが10年間の独裁官に任命され凱旋式を挙行、クレオパトラ7世はカエサリオンを連れてローマを訪れます。
しかし、あくまでもクレオパトラはカエサルの愛人であり、結婚したわけではないので、クレオパトラは庇護を受けつつも目立たないようにローマには滞在していました。
ところが、紀元前44年、カエサルは政敵により暗殺。エジプトの動揺を見てとったクレオパトラはカエサリオンを連れて急遽、エジプトに帰還しました。
クレオパトラは嫡子のいないカエサルの後継者として、カエサリオンを望んでいたと考えられますが、カエサルは庶子のカエサリオンを後継者に指名せず大甥、ガイウス・オクタウィアウス・トゥリヌスを後継者に定め、遺言書を残していました。
カエサルは禿げてはいましたが、才知に溢れた女たらしであり、同時に愛情と政治を決して混同しない人でした。カエサリオンを通じて、独裁者カエサルの家系に食い込もうと企んだクレオパトラの野望は儚い望みに終わったのです。
クレオパトラがエジプトに戻ると、名目上の共同統治者、プトレマイオス14世が急死、(クレオパトラの毒殺説もあり)空位になった共同統治者にクレオパトラはカエサリオンを指名し、彼がプトレマイオス15世になります。
アントニウスを誘惑し生き残るクレオパトラ
クレオパトラは、紀元前42年のフィリッピの戦いでは、第二回三頭政治側ではなく、ローマ東方地方に勢力を広げていたマルクス・ユニウス・ブルトゥスの勢力を支援します。実は、このブルトゥス、あの「ブルータスお前もか?」のブルータスの事なのです。
愛人、カエサルを刺殺した男を平然と支持する所に、毒婦クレオパトラの一面が見えます。あるいは、カエサリオンを後継者にしなかったカエサルに対する愛情が醒めていたのでしょうか?しかし、クレオパトラは、どうにも運がなくブルトゥスは敗北して戦死します。
もちろん、三頭政治側のマルクス・アントニウスは、ブルトゥスを支援したクレオパトラに出頭を命じました。いよいよ開き直ったクレオパトラは、アフロディーテのように着飾り、香を焚いてムードをつくり出頭し、今度も見事にアントニウスを誘惑する事に成功します。
ただ、アントニウスは、エジプトに近いシリア等に勢力を持っていたので、エジプトと友好関係を維持する必要があり、最初からクレオパトラを殺すつもりはなかったかも知れません。
【次のページに続きます】