小牧・長久手の戦いはどうして起きた?秀吉VS家康!2人の天下人が激突

2020年11月13日


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小牧・長久手の戦いの原因(1P目)

 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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小牧・長久手の戦いの後世への影響は?

天下を収めた徳川家康

 

小牧長久手の攻勢への影響は、家康の力が温存されたことにつきます。秀吉は家康を武力で屈服できず、身内を人質に出すことでようやく家康が秀吉に従います。そのため家康は同盟していた関東の北条氏の仲介役をするなど、その影響力を残しました。

 

北条氏滅亡後、秀吉は家康の力を弱めようと、家康を関東に強制的に転封しますが、それで力が衰えることなく、晩年には五大老の筆頭として、幼い秀頼の面倒を依頼します。しかし秀吉の死後、家康は独自に動き出しました。再び戦乱の動きが起こります。

 

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

こうして東西に分かれて行われた関ケ原の合戦で勝利。徳川の時代を迎えることになりました。豊臣家は65万石の大名となり暫く生き残ります。ところが「自分の目の黒いうちに」と考えた家康が、言いがかりをつけて豊臣家を滅ぼそうとします。

 

それは秀頼が建てた京都の方広寺の鐘に銘打っていた「国家安康」「君臣豊楽」という文字に対して「豊臣を君主とし、家康を分断している」と言いがかりをつけます。そして豊臣家を滅ぼそうと軍勢を差し向け、大坂冬の陣と夏の陣の二回の戦いで、ついに宿敵だった豊臣家を滅ぼしました。

 

戦国時代ライターSoyokazeの独り言

soyokaze(ライター)

 

信長、秀吉、家康という3人の英雄のうち、信長以外の両者が直接激突した戦い。戦そのものでは家康に有利でした。戦いは途中で終わりましたが、長期戦になったら家康が滅ぼされていた可能性がありました。しかし天正地震などがあり、秀吉が懐柔策を行うことで家康が屈服します。

 

野望を持ち始めた徳川家康

 

これは武力制圧でなかったため、家康は力を温存したまま秀吉亡き後に、関ヶ原で勝利し天下を取りました。関ヶ原は天下分け目と言われていますが、秀吉と互角以上に戦った家康が何枚も上手だった理由がうなづけます。

 

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ほのぼの日本史

 

 

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Soyokaze

ライター自己紹介: 旧石器から現代史、日本、中国、西洋とどの歴史にも興味があります。 小学生のころから歴史に興味があり、歴史上の偉人伝を呼んだり、 NHKの大河ドラマを見たりして歴史に興味を持ちます。 日本のあらゆる歴史に興味を持ち、旧石器や縄文・神話の時代から戦後の日本までどの時代も対応可能。 また中国の通史を一通り読み西洋や東南アジア、南米に至るまで世界の歴史に興味があります。 最近は、行く機会の多いもののまだあまり知られていない東南アジア諸国の歴史にはまっています。 好きな歴史人物: 蘇我入鹿、明智光秀、石田三成、柳沢吉保、田沼意次(一般的に悪役になっている人たち)、溥儀、陳国峻(ベトナムの将軍)、タークシン(タイの大王) 何か一言: 勝者が歴史を書くので、歴史上悪役とされた敗者・人物は本当は悪者では無いと言ったところに興味を持っています。

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