日本でのキリスト教の歴史を振りかえると、必ず行きつくのが「イエズス会」です。カトリック教会の会派の1つで、日本人なら誰もが知る(?)フランシスコ・ザビエルらによって創設されました。
ヨーロッパを中心に宣教していた彼らは、なぜ遠方の日本にまで来ることになったのでしょうか。また、彼らの目的は日本の植民地化だったとも言われていますが本当でしょうか!?
この記事の目次
イエズス会の創設
イエズス会は、イグナチオ・デ・ロヨラが中心になって、フランシスコ・ザビエルら同志6人によって、1534年に設立された男子修道会です。イエズス『会』となっていますが、教会ではなく、カトリック教会の会派の1つという意味合いになります。現在でも活動していて、ローマに総本部があり、世界中に2万人ほどの会員がいるという大きな会派です。
会のコンセプトと方針
イエズス会は、当時ヨーロッパで勢いがあった、キリスト教のプロテスタントに対抗して創設されたと言われています。そのころ、現在のドイツで起こった宗教改革が各国に波及しており、カトリックの権威に陰りがでてきていました。
そんな状況に危機感を抱いたイエズス会員たちは、カトリックこそ唯一の宗教で、他は全て邪宗であるというような極端な考え方でした。また、会員たちには厳しい戒律があり、軍事教練を行うなど、軍隊のような集団になっていきます。そして、教皇に対する忠実であるという方針を掲げ、批判するものを攻撃しました。このような姿から、後に「教皇の精鋭部隊」とも呼ばれるようになります。
イエズス会の初期活動
会員たちはまず、カトリック教会の内部に目を向けます。そして、教会内部にはびこる汚職、不正などを激しく批判し、取り締まりました。
こういった活動から、日本では「カトリック教会の新撰組」などと評されることもあります。やがて、それが教皇から認められ、世界へ布教を行うように言われます。
ヨーロッパ、アメリカ、アジア、そして日本へ
イエズス会員たちは、まずはヨーロッパを中心に布教活動をします。それが成功すると、今度はプロテスタントの勢力が弱い新天地での布教に行ってくれと頼まれます。会員たちは、喜んで世界へ飛び出していきます。
まず、アメリカ。その後、インドそして東南アジアにも派遣されます。その過程で、イエズス会は、当時海の覇権を握っていたポルトガルと協力していくことになります。そして、ついに極東の日本にまで!そう、あのフランシスコ・ザビエル。創設メンバーでもある、イエズス会の最重要人物の1人です。
日本に興味を持ったフランシスコ・ザビエル
フランシスコ・ザビエルは現在のスペイン出身です。貴族の子として生まれ、パリに留学中、イグナティウス・ロヨラと出会ってイエズス会を一緒に立ち上げます。アジア方面には、1541年にまず、西インドのゴアに布教に向かいます。
その後、日本人最初のキリスト教徒と見られているヤジロウ(アンジロ一)と出会い日本に興味を持ったと言われています。、2年後(1549年)にヤジロウを通訳として鹿児島に到着。これが日本におけるキリスト教の歴史の全ての始まりです!
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