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この記事の目次
フランシスコ・ザビエルの日本での活動
2年3か月の間宣教活動を行ったザビエル。当初、天皇から宣教許可を得ようと考えます。鹿児島から平戸、山口、堺を経て京に行きましたが、戦国時代の天皇にはそれほど権威はありませんでした。征夷大将軍も不在で、ザビエルはその目的を果たせませんでした。
ですが、徐々に日本人協力者を得ることができ、700名ほどに洗礼を授けたと伝わっています。ザビエルは、日本人を「優秀で理性的な国民」であると評しています!
ザビエルは中国へ、代わりに次々と優秀な人材が日本に来ることに
その後、ザビエルは日本文化の元になっている中国にこそキリスト教が必要だとかんがえるようになります。そして、中国を目指すことを決意して日本を離れます。その代わりということで、イエズス会本部に優秀な宣教師の派遣を要請します。会は、それに応えて次々に人材が日本に送られました。
ガスパル・ヴィレラ(『耶蘇会士日本通信』で「堺」をベニス(ベネチア)のようと紹介)。ルイス・デ・アルメイダ(医者の免許を持ち、現在の熊本に日本初の病院を開設)。
ルイス・フロイス(織田信長や豊臣秀吉などと会見し、第3者の視点で日本を記録した『日本史』の著者)。
ガスパール・コエリョ(大坂城で豊臣秀吉に謁見し、日本での布教を正式に許可される)。
などなど、歴史の教科書に載るような人物がずらり。
なぜイエズス会は日本で成功した?
では、なぜこれほどまでに彼らは日本に入り込むことができたのでしょうか。1つには、日本は、ヨーロッパや植民地のような支援が本部から届きにくかったからと言われています。ですので、とにかく宣教師たちは謙虚に、日本の文化にまず馴染もうとしました。
先に出たルイス・デ・アルメイダは、ほとんどボランティアのような形で手術をしたりして、多くの日本人の命を救いました。そんな努力もあって、彼らは徐々に日本に受け入れられていきます。2つ目には、戦国時代という時代背景が関係したとも言われています。
各国の大名たちは自国が有利になるような南蛮貿易に目をつけました。その交渉を宣教師たちが、仲立ちしていたのです。そして、南蛮貿易の利益をチラつかせて布教の許可を得ていきます。
キリシタン大名の誕生
大名の中で、入信するものもいました。いわゆるキリシタン大名と言われています。九州から西日本が中心です。大友宗麟、大村純忠、有馬晴信、結城忠正、高山右近、小西行長、蒲生氏郷などが有名ですね。
彼らがキリスト教に入ったのには様々な理由がありました。
・キリスト教の理念に真剣にひかれた。
・南蛮貿易をより円滑に、大規模に行いたいから
・南蛮の文化や科学技術などにほれ込んで、信仰するようになった
などなど人それぞれのようです。
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