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この記事の目次
主な貿易品
当時の日本に輸入されたのは、中国産の生糸・絹織物、ヨーロッパ産の鉄砲・火薬、東南アジア産の香料・革製品などです。逆に日本から輸出されたのは、銀・銅・刀剣・工芸品などと言われています。特に日本の銀は重要視されていました。
当時の日本は世界的にみても、銀の産出量が多かったのですが、日本の技術では少量の金が混ざってしまっていました。ここから、金を取り出す技術が、中国には既にありましたが、日本ではまだ確立されていませんでした。これに目をつけたのが、ポルトガル人です。
「倭銀(日本の銀)、て『金』入ってるから明の人らめっちゃ喜ぶやん!」
そこで、ポルトガル人たちは、日本で買った銀で、明の生糸などをを購入して、それをまた日本に売るという、日中の中継貿易をさかんに行いました。
貿易と布教は一体的
そんなポルトガル商人と、2人3脚でアジアに進出した教会があります。みなさんご存知の「イエズス会」です。イエズス会は、東アジアに進出を始めた当初から、商人たちと協力関係にありました。
商人たちにとっては、ポルトガルの文化や習慣などを知ってもらうのに、宗教が便利だったからです。また、キリスト教は平和的なメッセージも多く、武力での侵攻ではない印象も与えたいという狙いもありました。
イエズス会
日本でのキリスト教布教の中心となったのが「イエズス会」です。イエズス会はスペインのイグナティウス=ロヨラが、1534年にフランシスコ・ザビエルら7人とパリで創立しました。
比較的新しく、少数のカトリックの教団の一つです。正確にはジェズイット会ですが、中国では耶蘇会と呼ばれ、現在の日本での公称はイエズス会となっています。1540年に教皇パウロ3世に公認されることで勢いづきます。
当時ヨーロッパではプロテスタントの勢力が拡大傾向にありました。その流れに反発するように生まれたのがイエズス会です。カトリック勢力の拡大、プロテスタント撲滅というスローガンで積極的な布教活動に乗り出します。ヨーロッパで着実に成果を挙げ、その次に目をつけたのが、イスラム教など強力な宗教が根付いていないアジア圏でした。
こうして、彼らは商人たちと共にアジアまで海を渡っていくことになります。
松浦氏との決裂
南蛮貿易のさきがけとなった松浦氏でしたが、ポルトガル人たちの横暴なふるまいに手をやきます。また、イエズス会の強引なカトリック布教にも不信感を持つようになります。次第に関係性が悪化。
定期ルートもなくなってしまいます。そこで、ポルトガル人たちが次に目をつけたのが、大村純忠でした。大村純忠は、近くで貿易によって平戸が発展しているのをよく知っています。
「いっそのこと」と純忠は自身がキリスト教に入信することで、ポルトガル商人たちとの距離を縮めようと決意します。これが、日本発のキリシタン大名でした。そして、貿易の利益のために、国内のキリスト教布教の許可を出します。
これで安心したポルトガル商人とイエズス会は、大いに活躍し、南蛮貿易は大村領の横瀬浦に中心が移っていきます。しかし、開港された横瀬浦は、貿易反対派の家臣に襲われ炎上。
わずか1年で役目を終えてしまいます。諦めないポルトガル人は、新たな良港を探し、ついに「長崎」へたどり着きました。
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