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この記事の目次
イエズス会が長崎を自治
純忠は、ポルトガルの要請により、長崎を教会領としてイエズス会に寄進します。ここから、長崎は教会が自治を行う特殊な都市になっていきます。長崎では、強力な自主警護・防衛が行われるようになり、直轄地にしようともくろんだ大村氏は失敗。
長崎では、諸藩がポルトガルと貿易が行えるようになりました。このころ遅れてスペインも貿易を開始しています。また、日本の京都・堺・博多などの商人も多く参加しました。そして、南蛮貿易では、品物だけでなく医学、天文学、音楽、美術なども伝えられ、日本に大きな影響を与えています。
信長・秀吉・家康の対応
信長は基本的に南蛮貿易を推奨しました。特にお膝元の堺の商人たちに独占的な特権を与え、また彼らから利益を吸い上げる構造を作ります。
秀吉は貿易の利益を望みつつも、キリスト教に対してはバテレン追放令を発布します。その後、あのイエズス会が自治していた「長崎」を、武力で直轄領に組み込みます。
それを継承した家康も直轄領とし、キリスト教は禁止しました。が、家康は秀吉により悪化していたヨーロッパとの関係を改善しようと考えます。キリスト教と切り離して、貿易だけを行えるように朱印状を発行し、「朱印船貿易」を開始します。
が、それも家康の死後、島原の乱などに危機感を抱いた江戸幕府により、日本は鎖国へと突き進みます。これにより南蛮貿易と、その派生型だった「朱印船貿易」も、歴史に幕を閉じます。
南蛮貿易で1番儲かったのは?
さて、タイトルにもあった「南蛮貿易で最も利益を上げたのは誰」でしょうか?
1番は、もちろんポルトガル商人たちですね。次に、中国の商人たちも大いに儲けました。最後に、日本人の商人たちとなりますが、その中で最も稼いだのは、博多商人の末次平蔵と言われています。また、信長の庇護を受けた堺の商人たち、特に今井宗久も多くの利益を得たと伝わっています。
戦国ライターしばがきの独り言
戦国時代と切っても切り離せない南蛮貿易。様々な思惑が錯綜して、一言では説明のできない非常に複雑なものになっています。あまりにもややこしいので、歴史の授業では、さらっと解説されるだけです。その為に他の貿易とごっちゃになってしまいますよね。
受験生たちが今回のコラムを読んだら、少しは忘れにくくなるかも!?
そんなことを期待して。。。またお会いしましょう!
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